先日某ニュース番組で、サッカーで有名な岡田武史氏の特集が組まれていた。現在は監督業からは退き、ある地域リーグのクラブオーナー(クラブを運営する会社に出資し代表取締役に就任)を務めている。番組の特集内容は、なぜ“監督”ではなく、“オーナー”それも、地域リーグの“オーナー”への道を選んだのか? というものであった。
サッカー岡田武史氏の「型」から感じた職務の「型」

衝撃! 日本のサッカーには「型」がない?

既にご存知の方が多いかもしれないが、その一端をご紹介しよう。岡田氏が“オーナー”の道を選択したきっかけは、2014年にブラジルで行われたワールドカップにおいて、スペイン人のコーチと日本のサッカーのあり方について議論したことだったという。このスペイン人コーチに「スペインのサッカーには型があるが、日本の型は何だ? 日本にはないのか?」と聞かれたそうである。

この質問をぶつけられた岡田氏は、各選手が自由にプレーしているように見えるスペインに「型」が存在することを知って衝撃を受けたとのことだった。ちなみに、ここでいう「型」とは「型にはめる型」ではなく「共通認識」を指すとのことだ。この「型」が土台となって存在するため、監督やコーチが変わっても、中身が変わることなく同じ指導ができるのだという。この「型(=岡田メソッド)」を日本でも作るべく、ゼロから始められるチームとして地域リーグを選択したという内容であった。

共通認識が持てる職務の「型」が必要

労務管理という観点からみて、これは実に興味深い。なぜなら、「型」の存在はサッカーの世界だけに限らないからである。私たちそれぞれの仕事、すなわち各職務にも「型」が存在している。しかし、日本は職務概念が希薄である。国に統一的な基準があるわけでなく、各会社の対応によってもバラバラである。だから会社組織内での職務(Job)を捉えようにも、各職務の境界線が不明確であることが多い。例えば、給与は仕事基準ではなく、人を基準に支払われる特徴があるし、職務が不明確だから仕事が属人化しやすい傾向も見てとれる。もちろん、これが功を奏した時代もあったが、成果を強く求め、終身雇用慣行が失われつつある現代にはそぐわなくなっている点は否めない。だから、日本全体で「○○の仕事」といったら誰しも一つの共通認識が持てる職務の「型」が必要であり、職務に即した労務管理へ変えていかなければならない。

また岡田氏は番組内で「共通認識の型があるから、これを破り自由な発想ができる。自由なところから自由な創造・発想はできない」とも語っている。これも至極もっともだ。基礎のないところに建物は建たない。無から有は生み出せないのである。基礎固めが存在してこそ、オリジナリティーが生まれ、応用・発展へと繋げることができる。

企業は想像力を働かせ成果(利益)をあげる、その時々の状況に応じた柔軟な対応ができる社員を常に欲している。世の中のスピードが速まるにつれ、この人材ニーズは顕著だと思う。もっとも自発的に素早く仕事の勘どころを押さえてしまう社員も一定数存在することもまた事実であるが、一般的には、これらができるようになる前提として職務(仕事)の「型」がなければ臨機に対応し、応用する能力を身に着けることは難しいのではないだろうか。

変化対応力といった応用能力を身に着けてもらうために、「職業訓練」や「社員教育」を実施する会社も少なくない。しかし、この「職業訓練」や「社員教育」を実施するにあたり、共通認識としての「型」を全体の統一としてがっちり固めておかなければ、軸がぶれ、せっかくの「職業訓練」や「社員教育」も無意味なものになってしまうと思うのである。

職務の「型」の創設は一朝一夕にできるものではない。長期的な視点で臨まなければならない取り組みである。労働力人口が減少している日本が競争力を維持し、高めていくためにも、国の主導による職務の「型」の創設が望まれる。


SRC・総合労務センター 株式会社エンブレス 特定社会保険労務士 佐藤正欣

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