見聞きした事を言葉にする訓練をしてください。そして、それから先があるのです。“面倒くさい”という言葉を捨ててください。
日本人は貝によって養われてきた民族だと思う。昔は庶民のもので、深川丼などのようにさっと作って力をつけたものだった。今は昔のようにおいしい貝はない。海の恵みを忘れたことで、海の衰えとともに貝も衰えてきてしまった。
可能性を広げること、引き出し続けること。

 どうやったら回復できるか。煮干しがなくなったらどうするか? どうやったらあるものを丁寧に大切にするか考えること。

 「どのようにしたら根源的な解決法になるのか、その作業をしながら、いつも根源を求めるのです。」
 昔、料理の師匠から講義の初日に言われた言葉である。料理を習いに来たはずなのに、大変な所に来てしまった、と思ったものだ。
 本日習ったことは1週間以内に復習すること。やっているか否かは、顔を見ればわかります、とぎろりと睨まれ、度々冷や汗をかいた。

 少しは得意だといい気になっていた料理だが撃沈した。この戸惑いは何なのだろう。先生が宮本武蔵に見え始めた。

 往々にして“得意だ”と思っていることがバリエーションを並べているに過ぎないことがある。ちょいと目先を変えることが「できること」と思い込んでいた。戸惑いの原因は本質を見ようとしていない、ということに気づいてアタフタしたためだった。応用がきかずオロオロもする。

 ナスをナス、という言葉で認識したとたん、分かったような気になり向き合うことはやめる。そして過去の経験と手持ちの知識と技術により仕上げる。本当はその時々、個々に違いがあるはずなのに。ナスの身の上話も聞かなきゃいけない。

 分かったつもりの繰り返しからマンネリは生まれても可能性は生まれ難い。昔は家で味噌や醤油、保存食を作り、失敗したら一年困る、家族の生死にかかわるという覚悟でやっていたこと故、真剣に失敗や成功の分析をせざるを得なかった。大豆の本分、梅の本分、良いところ悪いところを分析し、状況に応じた判断力があり、自分の能力をよく知っていた。今は全体像が見えにくい。だから男も女も、見よう、としないと気づいた時には自分の手の中にも外にも何も残っていないかもしれない。

 では、どうしたら根源的な物の見方ができるようになるのか。それはやらなければならないことをやっていくこと。ものと向き合うこと。簡単と合理的は違うと知ること。

 可能性を開くには
(1)根源的な解決法を求めること、または求めようとすること
(2)一段一段進むこと
(3)継続すること
(4)目標をもつこと

 最近ショックを受けた食べ物に徑山寺味噌がある。茶色のどろどろと緩い金山寺味噌ではない。

 和歌山の味噌屋さんが三百年前と同じ手法で作っている。夏野菜である瓜、茄子、紫蘇、生姜を大豆、麦、麹で熟成させたものだ。まず香りの良さに驚いた。味わいはチーズのようなコクがある。しっかりした食べ心地で、それぞれの素材が一体になりながらも、ちゃんと“ワタシはココヨ”と言っている。私の故郷信州も味噌処ではあるが、“お見事”と唸った。昔は各地で作られていたようだ。味噌屋さんの当時の家業は回船問屋で、お客様の手土産に作っていたものが本業になったそうだ。野菜が多く出回る夏に仕込み、一年間季節ごとの熟成度を楽しみながら頂く。簡単ではないが、合理的な方法で守ってきた味だ。私たちは“待つ”という高度な文化を持っていたのに、捨ててきた。

 ものの持つ力を出そうとする場合、ちゃんと育てた、力のある素材を使わないと途中でヘタってしまう。味噌等の場合、熟成に要した手間暇分に見合った保存が可能になる。

 “待つ”ことはセンサーを敏感にする。“待つ”ことは“育つ”事でもあり、生まれ出る過程の感覚を磨く。 educateの語源には“外へ持ってくる”、“能力を持ちだす”、という意味がある。

 人を育てる方法として料理は五感のみならず第六感も育み良いものだが、準備や後片付けという“やりたくないもの”が付いて回り敬遠される。しかし、食べることを人任せにすることは危険であり、胃袋を他人に握られたらオシマイなのである。

 食べることに熱心な人は仕事にも熱心であると信じている。

 さて、料理から多くを学んだことから食べ物の話に執着してしまったが、人の可能性を開くための普遍性のある分析は、「自分の能力」「自分の時間」「仕事の内容」の3つ。

 今一度、変らないもの、変るものを棚卸し、可能性の扉を開きたい。長寿社会、いくつになっても、どんな状況でも可能性を開く分析力が必要だ。

 いつの時代にも、もののいのちの可能性を開き、可能性を開くことは幸福のもとであることをこころに置きたい。 


オフィス クロノス 人材育成コンサルタント 社会保険労務士 久保 照子

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