以前の記事「『ジョブ・クラフティング』を活用し、仕事の『主人公』になろう!」でも紹介したが、経営学者ピーター・F・ドラッカーの言葉に「知識社会では仕事そのものが報酬だ」というものがある。仕事そのものを報酬と考えるには、金銭収入だけに囚われず、精神的な満足感を得ることが重要だ。本稿でも引き続き、「仕事の意義」について考えたい。
幸福感を得られる収入以外の「報酬」は何か? 他人と比べず、自分らしく仕事に取り組もう

仕事の「精神的な満足感」に意識を向けよう

筆者は、ほぼ毎日といっていいほど、街中の馴染みのお店にランチ用の弁当を買いに出掛ける。街と人の観察を兼ねてだ。その道すがら目に入る光景のひとつに、「宝くじ売り場」に列をなす人の群れがある。こう言っては失礼にあたるが、人生の終盤に差し掛かっているであろうご年配の方々が、寒風吹きすさぶ中で、整然と列をなしているのである。一人ひとりを存じ上げているわけではないので、自分勝手な妄想が思い浮かぶ。「なぜ、○〇億円の宝くじが必要なのだろうか?」、「宝くじの当選確率は低いだろうに」、「年金の受給額が少ないのだろうか?」などなど。いずれにしろ、「お金」に囚われているように見えてしまう。

一方で、これまた筆者が贔屓にしている同じ界隈の洋服の補修店に足を運ぶこともある。もうかれこれ20年以上の付き合いだろうか。そこでは、齢80歳と思しき老婦が一人で黙々と洋服の補修作業に勤しんでいる。わずか2〜3坪の小さなお店なのだが、お店に入って気づいてくれないこともしばしばだ。「○○さん! 仕事忙しいね! いつまでこの仕事続けるの?」と声をかけたりする。「分からんばってん(わからないけど)、身体の元気なうちはね! こんごろは(最近は)、あんたんごと(あなたのように)、補正してくんしゃい(してください)、って頼む(依頼する)人の多かとよ。そいに(それから)、洋服の補正ばしよったら(をしてたら)、そん人(その人)の人生が見えて面白か! あんまり、お金にはならんばってんね(ならないけどね)」と、彼女はいつもこんな調子である。そして、笑顔を絶やさない。

対照的な光景を書き記したが、この両者の違いは何なのだろう? と思わずにはいられない。果たして、どちらの御仁が幸せな人生を歩んでいるのだろうか? 筆者は、洋服の補修店を営むおばあちゃんのような生き方をリスペクトし、自分も見習いたいと思う。もちろん、個々人にはそれぞれの人生と生き方があり、それはそれで肯定されるべきことである。また、赤の他人が、事情を知らずに判断することは慎むべきことではあるが……。

経営学者のピーター・F・ドラッカーは「知識社会では仕事そのものが報酬だ」と言っているが、その意味するところは、「満たされた現代社会では、金銭的報酬だけでなく、精神的な満足感も報酬である」と受け止めるべきだということであろう。また、ドラッカーは「高額な報酬」を否定してもいる。これは、人間の金銭的な満足感は比較によって生まれることから、「周りの人の収入が増えれば、自分もそれ以上に収入が増えないと満足できない」という「欲望のループ」に陥ってしまう悪循環を引き起こすからである。その弊害は思っている以上に大きい。これが経営者であれば最悪である。自分の報酬にしか興味のない経営者が、従業員の心を掴んだマネジメントができるはずがない。

このように、金銭に囚われすぎた生き方は、無間地獄に陥るように苦しいものだ。当然、幸福感にも影響する。人生は死ぬまでなのである。あの世にお金を持っていくことはできない。幸せに生きるための秘訣は、他人と比べたり、他人からの視線を意識しすぎたりせず、「自分らしく生きること」だろう。生きていること自体に感謝し、さらに、他人様はもとより「生きとし生けるもの」すべてに感謝する生き方に転換すれば、新しい地平が開けてくる。

お金はあれば便利で、自分を自由にしてくれる側面がある。しかし、中毒のようにお金に囚われた人生を歩んでも幸せにはなれない。くれぐれも「自分」と「お金」が主客転倒した人生にならないよう、「主役は自分自身であること」を忘れないようにしたい。そして、人生にミッションと哲学を持ちながら仕事に取り組もう。

  • 1