日頃通っているスポーツクラブのロッカールームでは、多くの人々が自分の使うロッカーを決めているようだ。私も3か所を固定ロッカーと決めている。理由は場所を忘れて探すことを避けるためと、なんとなく好き、だからである。
 浴場のシャワーブース、湯船につかる位置も同様、各自好みの場所がある。自分にとって湯船の中の好みの位置はパワースポットでもある。我がパワースポットでじっくりとつかっていると、ときに考え事のヒントを得られるのである。トイレがその場所だ、という友人もいる。
好みのロッカー選びは人生の選択と重なる

背骨の歪みは人との出会いを左右する?

 好みの場所はバーのカウンターなら奥の隅っこ、レストランの壁側のテーブル、映画館・劇場は中央左より、電車は入口の隅、バスは5番目あたりの窓側、セミナー会場は右列前から2番目あたり等と結構決まっているものだ。

 なぜなら“居心地が良い”のである。本能的に命を守るため、自ら選択するという精神的な自由、迷わずに済む怠け心の緩み感、何よりも体が快適であることが心地良さをもたらす。 

 居心地の良さを提供する側であれば、レストランに来て下さるお客様に対してお好みの“あなたのための席”を用意すれば喜んでいただける。ちなみに居心地のほかに着心地、食べ心地がある。いずれも快適さが身上で、提供する側はそこに心を砕き、受ける側はその心地で“よい”と判断する。寸法やレシピだけでは作れない世界がある。作り手と受けての感性がぴったりとひとつになった時に生まれるものだ。

 ヨガの師匠は、背骨の曲り具合が座る位置に影響を与えるという。私たちの体は毎日の動作ですぐ歪む。何もしなければそのままのクセがついていく。臓器やら骨やら弱いところを庇い、自分にとって楽になるよう知らぬところで体が企てるのである。弱くなればなるほど庇い、歪みはひどくなっていくというわけだ。
 毎日の動作の習慣が居場所を選んでいくとは放っておけない。居場所は人との出会いを決めていく重要な場所であるからだ。

好みのロッカー選びは人生の居場所選び

 好みのロッカー選びは人の人生と重なるところがある。
“継続”を最優先に、歩いて通えるスポーツクラブを選んだ。好みのロッカーをコアに徐々に顔見知りが出来始めた。1日の疲れを残さない快適さを知ってしまった。パワー溢れる先輩達に感動する。天然温泉のお風呂場で裸になって雑談を楽しむ一時が暮らしのリズムに入り込んでしまった。自分が選んだロッカー周辺から人の繋がりは生まれる。縁は“ふち”とも読む。

 この世に生まれ落ちる時と死ぬ時を除き、私たちは意識的にまたは無意識に、居場所を選択している。この上なく安らかな居場所、母の胎内を出発し、やがて学校や会社へと人生のドラマは展開する。 
 職業、会社を選ぶことは社会の中での居場所を選ぶこと。組織の中では肩書で居場所が決まる。人生のパートナー選びは家庭と呼ばれる最も居心地のよい場所づくりのための覚悟ある決断を要する。

 人がどんな未来を選択するかは、人生の目指すところに拠る。きっちり計画した目標を達成するための選択をする人もいれば、居心地がよさそうだ、という勘任せの行き当たりばったり人生でも、死ぬまでは選択の連続だ。

 人は習慣の僕と言われる。動き方の習慣で背骨の歪みは生じる。歪みは座る場所を支配して、人の出会いまで左右しているらしい。では背骨の歪みはどうやってとるのか。普段使わない部分を使うのである。 
 論理的思考が苦手な私は、論理的思考を要する課題に向かってみると深い思考の轍を感じる。よい習慣をつけて成功したいなら、また居心地の感度を磨きたいのなら、この歪みを修正することが有効だ。

 今日ロッカーで隣にくる人は、きっと縁のある人に違いない。なんとなく選んでいるように見えて、この広い空間と時間に出会うとは奇跡である。私の選ぶロッカーの隣で、そのドアを開こうとしている人は誰だろう。

オフィス クロノス 人材育成コンサルタント 社会保険労務士 久保 照子

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