良品計画という社名よりも、“無印良品”というブランド名の方が世間では知られているかもしれない。無印良品は西友のプライベートブランドとして1980年にスタートし、1989年に良品計画として独立した。現在の小売業を見ると、商品を仕入れて売る業態は衰退気味だ。代わって台頭しているのが、SPA(製造小売業)。国内ではユニクロ、ニトリ、海外企業では衣料品のZARAやH&M、そして家具のイケアがある。
良品計画の業態もSPAだが、他のSPA企業と異なり、扱う商品ジャンルが多い。売り上げ構成で最も多いのは生活雑貨で55%、続いて衣料品が35%、そして食品が10%である。

国内店舗数は2012年度末で389の予定だが、現在は海外展開に力を入れており、2012年度末に海外店舗数は214になる。

現在は業績好調な良品計画だが、危機もあった。2000年に業績が急落し、2002年2月期に大幅な減益に陥ったのだ。株価も1万7350円から2500円近くまで下落した。株価が7分の1になるのはただ事ではない。この危機から良品計画を救ったのが、2001年に社長に就任した松井忠三会長(2008年に代表取締役会長に就任)だ。

どのようにしてV字回復を成し遂げたのか? 成長を支える人材育成の仕組みは? 松井会長を東池袋の良品計画本社に訪ねた。

--良品計画は2000年に業績が急落し、松井会長は2001年1月に社長に就任。大規模なリストラを推進し、V字回復を成し遂げました。その後に独自の施策を展開し、現在の良品計画は「毎日がノー残業デー」の会社になっています。まず2000年段階の良品計画の状況からお教え下さい。

良品計画は1989年に独立して以来、順調に業績を伸ばしてきた。成長の理由は、無印良品の「わけあって、安い」というコンセプトが受け入れられたからだろう。百貨店と同等品質のものが7割の価格で買える。そして無印良品のデザインは、日本文化の伝統を引き継いでいる。機能をそぎ落としシンプルに徹するのが無印良品だが、このデザインは禅や茶道に通じると思う。

そして生活雑貨の拡大政策による差別化推進、製造小売業(SPA)による高差益率によって1990年代の良品計画は成長した。逆に2000年に悪化した理由は、無印良品はこれでいいんだという慢心、急速に進んだ大企業病、ブランド力の弱体化、経営戦略の間違いが挙げられる。

私は2001年1月に社長に就任すると、海外のリストラ、国内不採算店の閉鎖・縮小、不良在庫の処理などを行い、経営改革プロジェクトを発足させた。

人事に関係するリストラとしては、前経営体制を退任か降格させ、経営陣を強化した。店長とのダイレクトコミュニケーションにより、現場の情報を直接受け取れるようにした。組織体制を変更し、主要幹部人材を固定した。

これらの施策によって1年後の2002年には店舗リストラが一巡し、次なる成長へ向けての準備に入った。とくに人材育成に重きを置く施策が2003年、2004年からスタートしていく。

--その人材育成の仕組みを教えていただけますか。

人材育成の土台として、「MUJI GRAM」と「本部業務基準書」を作成した。「MUJI GRAM」は販売オペレーションマニュアル。内容別に13冊に分かれ、総ページ数は1780ページある。「MUJI GRAM」を作成した理由は業務の標準化だ。

小売業には「店長の背中を見て育つ」という言葉があるが、店長は百人百様だ。店長の背中を見ていては、その店長のやり方しか学べない。またスキルもばらばらになる。これでは企業としての人材育成とは言えない。

マニュアルが必要だと考えた契機は、ある新店舗オープンの時の経験だ。新店舗のオープン前日に、ようやく売場ができあがり「やれやれ、これで何とかオープンにこぎつけた」と思っていたら、応援に駆けつけていた他店舗の店長が「こうした方がいい」と変更する。それが何とか終了すると、他の店長が「いや、そこはこうした方がいい」と再度作り替えてしまう。

しかし店舗オープンの時に最高の売場づくりを目指しているわけではない。時間までに売場をつくり、定時に店舗をオープンしてお客さまを迎え入れなければならない。ところが店長たちは自分の経験にこだわっていた。その時に店舗業務の標準化の必要性を痛感したのだ。そこで店舗で必要な実践的なスキル、やり方を徹底的に言語化し、「MUJI GRAM」を作成した。

この「MUJI GRAM」は、新入社員研修から始まる各種研修の基本教材になっている。またイントラネットで社員やスタッフに開放されている。内容は毎月更新し、つねに最新事例に対処できるようにアップデートしている。

--店長に任せられていた店舗運営のすべてを標準化したわけですが、現場からの反発はなかったのでしょうか?

変革に抵抗勢力は付きものだ。ベテランの店長たちは自分たちのやり方にこだわっていた。そこでかれらが抵抗勢力化する前に変えてしまった。このやり方をわたしは「ゆでがえる方式」と呼んでいる。抵抗勢力が抵抗する変革は成功しない。気付いたらゆであがっていたというように変革しなくてはならない。

どうやったのかというと、抵抗勢力になりそうなベテラン店長をマニュアル作成の部隊に入れ、店舗運営を標準化する側に配置した。

そして「MUJI GRAM」によって新入社員教育が始まり、教育された新入社員が店舗に配属されるようになって3年が経つと、店舗スタッフはみんな「MUJI GRAM」しか知らない。こうして「MUJI GRAM」の導入はスムースに進んだ。

現在の育成体系は、入社後2年目に店長代行としてのリーダーシップを発揮する、3年目は店長就任前のリーダーシップを発揮する、3年目から4年目にかけて新任店長としてのリーダーシップを発揮する、というものだ。この、人材育成プログラムは全店舗共通の「MUJI GRAM」が可能にしている。

--「本部業務基準書」は本社のスタッフ業務のマニュアルでしょうか?

その通りだ。人事、経理などの業務は非定型と考えられ、言語化・標準化している企業は少ないと思う。そして一人前になるのに時間がかかる。わたしは18年間西友に勤めたが、経理が一人前になるのに15年かかると言われていた。なぜそんなに時間がかかっていたかと言えば、1つの部門で経験を積み、上司のやり方を見ながら仕事を覚えていく「経験主義」が基本だったからだ。

こうした育成方法では、知恵や知識が蓄積されないし、専門性を身に付けるのに時間が掛かる。

「本部業務基準書」のある良品計画では、経理に配属されて「本部業務基準書」によって業務全体を把握し、2年目になるとかなりの業務をこなせるようになる。もっとも経理は専門性が高いので、できる経理になるには5年くらいかかる。それでも西友の15年と比べればスピーディに人材を育成している。

専門性の高い優秀な人材は外部から採用すればいいと言う意見もあるだろうが、わたしはそうは思わない。外から調達した人材はまもなく辞め、定着しない。人材は自前で育成しなければならない。

--「MUJI GRAM」と「本部業務基準書」で人材育成は万全ということでしょうか?

いやそうではない。業務基準書による育成は1割に過ぎない。良品計画の人材育成のフレームは、土台として「業務基準書による育成」があり、その上に全社最適・育成視点で異動・配置を検討する「人材委員会」があり、さらにその上に研修などを計画する「人材育成委員会」が位置付けられている。

「業務基準書による育成」と「人材育成委員会」がそれぞれ1割、残りの8割は「人材委員会」による異動と位置づけている。人は仕事を通じてこそ成長するものである。

最も重要な「人材委員会」について説明しよう。「人材委員会」は適材適所の配置を実現するための仕組みであり、役員~部長ポストの後任候補をノミネートする検討機関だ。2月と9月に定期異動が行われるため、それぞれ2カ月前の12月と7月に開催する。誰にどういう経験をさせて成長を促すかといったことを話し合い、定期異動に反映させているのだ。

役員と40人の部長については半日、90人の課長については2日ほどかけて、一人ひとりの現状と異動の必要性を議論する。課長から役員までの人材一人ひとりについて、潜在能力やパフォーマンス、評価歴などを基に、異動・配置を検討する。部長以上については全役員の話し合いで、課長クラスについては部門長と部長の話し合いで決定する。

--「人材委員会」での評価で使っておられるツールは何でしょうか?

「ファイブボックス」という評価ツールだ。GEで作られウォルマートでも使われているツールを良品計画用にカスタマイズした独自ツールだ。

横軸に潜在能力、縦軸にパフォーマンスを置き、1)から5)までの5象限に分ける。販売本部長のファイブボックスであれば、1)に販売本部長の後継候補が入る。パフォーマンスと潜在能力がともに高く、すぐにでもそのポストが務まりそうな人だ。2)は専門職的なイメージで、そのポストの後継者になる力はないが、高いパフォーマンスを上げている人材だ。これに対して、3)は、後継者になる資質はあるがまだ若く、次に昇進するときに、2)ではなく1)に来そうと見えている人が入る。

このファイブボックスを、部長以上の各ポストについて作成する。このファイブボックスは評価ツールとして機能するが、幹部の後継者を明確にするサクセッションプランでもある。

--「ファイブボックス」を使ったサクセッションプランを導入された動機は何でしょうか?

西友時代の経験だ。先ほど西友に18年勤めたと言った。最初の3年間は店舗勤務だったが、残りの15年は人事部門にいた。15年の後半は教育を担当した。1980年代の後半だ。
当時のスーパー業界は苦戦しており、西友も経営に苦しんだ。リストラを進め、行き詰まると社長が交代した。そして社長が交代するたびに、数十人の部長が辞めていった。派閥の弊害だ。

当時の西友には300人くらいの部長がいたが、優秀だから部長になったわけだ。そういう人材が辞めるのは大きな損失だ。そこで人材という資産を継続的に活かせる仕組みが必要だという思いを持った。そこで「ファイブボックス」を使う評価を導入した。

--「異動による人材育成」も西友時代の経験から生まれたものでしょうか?

西友時代に多くのことを学んだ。教育を担当していたころに、いろんな研修を行ったが、研修での育成には限界がある。もっとも思い出深い研修は、部長以上向けに行った意識改革研修だ。アメリカで自殺者も出たというプログラムを日本向けにアレンジした刺激の強い研修だったが、それでも経営幹部の意識は変わらなかった。

そういう幹部たちはどのようなキャリアを経ていたかというと、入社後の店舗勤務を経た後は、経理なら経理、人事なら人事、販売なら販売というように、1つの部門の中でキャリアを積んでいくのが一般的だった。その結果、自部門の利益を守ろうとする意識が芽生え、閥が生まれた。このような傾向は、わたしが経営改革を行う以前の良品計画にもあった。

販売部なら販売部一筋、商品部なら商品部一筋というキャリアを積み、いままでもこれからも同じキャリアなら、それぞれがよって立つ基盤の利益を守ろうとするのはある意味で当然とも言える。ただその利益は「部分最適」に過ぎず、「部分最適」から「全体最適」は生まれない。わたしはこれを「部分最適の累積は、全体最適にはならない」と表現している。

--異動ではどの程度の職種変更があるのでしょうか?

異動にあたってはそれまでの職種の専門性よりも多様なキャリアを優先する。昨年の異動では、営業部門と管理部門の役員を全員入れ替えた。先ほど経理の話をしたが、販売部(店舗)から本社のスタッフ部門への異動は当然ある。
いろんな職種を経験させ、タコツボ型のキャリアにしないことも異動の目的だ。小売業では、商品を調達する商品部と店舗で販売する販売部が対立することが多い。商品部の「部分最適」と販売部の「部分最適」がぶつかり、会社の「全体最適」を損なうのだ。

その弊害をわたしは商品部と販売部の部長を入れ替えることで解決した。異動によって相手の立場に立つことになると、自分勝手な部分最適の考え方から脱却できるようになる。

良品計画は海外展開に力を注いでいるが、海外拠点の異動では国内の最も優秀な課長クラスの人材を派遣している。30歳前後であることが多い。

海外への派遣では、当人の語学力を重視しない。まったく英語が話せない社員をロンドンの販売部長にしたこともある。その者は半年で話せるようになった。3年のロンドン勤務後に本社に戻って宣伝販促部長になり、3年後にフランス法人の社長として赴任している。

--その他のグローバルな人事施策はありますか?

良品計画の海外店舗数は現在180だが、2012年度末に海外店舗数は214になり、5年後には海外店舗460のグローバル企業を目指している。

その時に海外事業の抵抗勢力になるのは本社だ。だが抵抗勢力予備軍も、自分が経験すれば抵抗勢力ではなく協力者になる。そこで90人の課長全員に海外経験させることにした。全員を一度に派遣するのは無理なので、毎年20人ずつ送り、4年間で全員経験させる。派遣期間は3カ月だ。

--良品計画を大胆に変革された松井会長ですが、他社人事へのアドバイスをいただけませんか?

全体最適の視点が重要だ。そのために良品計画では、部門の壁を超える異動を行って各部門のトップが部分最適の視点に陥らないようにしている。ただこのような変革には経営トップの関与が必要だ。うまくトップを巻き込んで、トップが本気になるように持っていくとよいだろう。

また改革に乗り出したら、途中でやめないことだ。たとえば、「MUJI GRAM」だが、以前にもマニュアルはあった。しかし忘れかけられていた。そこでわたしが社長になって再度徹底させた。このマニュアルの最大の特徴は、現場で常に活用される“活きたマニュアル”であることだ。店舗から上がってきた意見を取り入れて、毎月更新している。

どんな制度も、放っておくと風化する。しかし、所期の目的に沿うように改善し続け、完成度を高め続けていけば、消えることはない。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!