「人的資本」については、政府による開示の方針が「人的資本可視化指針」として8月に示されました。それを受けて、今後各企業が、来年度からの開示に対してどう準備していくのか。今後は、具体的な対応を詰めていくといったフェーズへ移行していくことになります。しかしながら、指針は示されたものの、はっきり言って、「何をすれば良いのか?」、「明確ではないな」と感じておられるHR担当の方も多いのではないでしょうか?
「人的資本」の開示に人事が戸惑う具体的な理由――投資家目線による「人的資本開示」についての解題(第1回)
筆者は、今回の「人的資本」という新たなHRの捉え方はこれまでの企業における人財育成、そしてHRの制度そのものに、大きな変革を促すものになる可能性が高いように思います。それは、「開示」という株式市場や政府が介在する形での新たな制度的な強制力を伴う、いわば「黒船」のようなものだからです。

筆者は現在「人財育成」や「経営改革」に携わっている者ではありますが、国内外の証券アナリスト資格保有者として、「投資家目線=株式市場」という観点も交えながら、人的資本の開示が企業のHR体制に与える影響、そしてその対処について、この連載を通して説明していきます。

「人的資本開示」は、人事が主体的にHRの「あるべき姿」を実施できる最大のチャンス

さて、今回の指針は、「●●をしなさい=●●さえやっておけば良い」というものではありません。「投資家の視点」を意識しながら、「会社の戦略」を踏まえたもので開示するという点が、HR担当者の方には馴染みにくいところがあるように思います。

すなわち、HR担当の方が今回の指針について戸惑われているのは、

(1)あれも、これも書いてあって、何をすれば良いか、スパッと明確に示されているわけではない

もっと言うと、

(2)これまで時代の変化によって何とか整合性を保ちながら実施してきた最近の様々な施策(例えば、定年年次の延長、専門職制度の導入・拡大を含めた総合職・一般職といった区分の拡大、契約社員の社員への登用、中途採用制度の拡大、ジョブ型雇用の導入検討、リモートワークへの対応など)がある中、可視化(開示)に留まらず、それとリンクしたコーポレートガバナンスコード、経営戦略とHRの関連性の改善が求められており、これまでの人事制度の改変とは次元の違う対応が求められている

ということに原因があるのではないでしょうか?

しかし、この戸惑い、あるいはモヤモヤというものを良く考えてみれば、HR担当の方々にとっては、実は願ってもない良いチャンスになるかもしれません。

つまり、この「開示」ということを通して、HRの方々がこれまで長年抱えてきた懸案を一挙に解消し、主体的に、HRについての「あるべき姿」を実施できるチャンスなのではないかと考えるからです。

時代の変化に対応し、上からの指示、場合によっては、「受け身」で場当たり的に対応しなければいけなかった、言葉を変えれば場当たり的な対応でも済んだのに対し、今回の黒船にも似た開示の要求に対して、場当たり的な対応では済まないからであり、「HR部門が、本当にやるべきこと」を抜本的に実行するチャンスなのです。

少し具体的に書けば、

・上記(1)、(2)にあるように、会社側における自由度が高く、社内の各部署、特に、有価証券報告書などの開示資料に関するものでもあるだけに、社内のIR担当、企画、経営幹部と良く議論する。そして、経営の根幹である「コーポレートガバナンス」の一環としてのHR、言葉を変えれば経営戦略と合致した人財の育成・確保を推進するために、HRを一つの主語として会社全体を巻込んだ抜本的なあり方を模索しなくてはならない

・その際に、HR部門がこれまでも推進したくても出来なかった「経営戦略に資するHR」、「社員のウェルビーイングに資するHR」を、場合によっては過去の屋上屋を架すような制度を一部ご破算にして、HR担当がデザインし直すことだって可能になる

と言うわけです。

人事異動、採用といった年中のルーティーンや、「HR制度」の改変を実行する部門としてのHR部門ではなく、“会社経営の根幹としてのHR部門の地位向上なのだ”とも表現出来ましょう。

そして、人的資本がコストではなく資本ということなのですから、HRに関するコストを減らすのではなく、これに対する積極的な「投資」が推奨されることにもなります。そのため、HR担当者の方々が考える「これまでやりたくても出来なかった」施策の数々も実現に近づく可能性もあるのです。

繰り返し強調しますが、開示という錦の御旗の下、主体的にグランドデザインを描き、「あるべきHRの姿」を実現していくことが出来るのです。そういう意味で筆者は、人的資本に関する開示というものは、来るべき「HR3.0」の号砲の狼煙を告げるものだとさえ位置づけています。

「HR1.0」は、戦後の日本型経営であり、「HR2.0」は、“成果主義”が混迷を深めたことを象徴しているように、様々な改変が起こったものの理想とは程遠い現状を表すもの。そして、「HR3.0」は人財を人的資本とポジティブに捉え、経営戦略の一環としてシンプルに整合的にHR体制を構築して良い会社を作っていき、同時に社員のウェルビーイングを追求するHRの形です。

先進国におけるアンケートの結果として、会社へのロイヤルティを失っている、人生100年時代と言われる中でも最も学ぶ意欲がないと言われる日本企業の社員、そして、「失われた30年」と言われる国の経済、企業、また主要先進国中最低の成長……。そんな悪循環からの脱却を希望しているのは政府だけではありません。企業、そしてHR担当に方々にとっても、新たなチャレンジの時期、チャンスを迎えているのです。

今後の連載の中で、投資家目線での開示、経営戦略と合致したHRの体制をどう構築していくか? 人財育成のための投資のあり方、人事評価や人財育成におけるコンピテンシーの重要性、などについて出来るだけ具体的に書いていきたいと考えています。
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