小林さん(仮名)は、8年前に、ある大手運輸業界の「次世代リーダー研修」に参加してきた。将来の経営者候補者を毎年24名ずつ絞って、自社の研修会場に集め、半年間かけて、鍛え、育てあげる。年齢は、29歳~33歳までの主任・係長クラスだ。
4万名の全社員の中から選ばれる24名だから、現場では、相当なエースなのだろう。小林さんは、当時、北海道の旭川支店で総務係長だった。32歳。朴訥な性格で、真剣に、誠実に研修に取り組んでいた。22歳以来ずっと旭川支店であり、現場ではそこそこの業績を上げていたようだ。自己紹介では「この半年間、石にかじりついても頑張りたい」と、緊張した表情で宣言していた。

 しかし、1回目のアセスメント研修が始まった瞬間から、自分の無力さ、他メンバーとの大きな差をまざまざと見せつけられ「自分自身の概念化能力の致命的な低さ」にぶち当たる。現場ではしっかりしたマニュアルがあり、過去の慣習もある。上司の課長からの明確な指示・命令もある。先輩の助言もある。現場からも可愛がられ頼りにされている。

それら外的基準に基づき、無難に、安全に、卒なく、ルーチンワークをこなしている小林さんにとり、「あなたは、この店を将来どうしていきたいのか? 3年後のビジョンを描きなさい」という地方スーパーマーケットの店長のケース課題は、チンプンカンプンであった。

更に、インバスケット処理(15枚の書類整理)と、社長への提言書「問題の洗い出しと、3年後のビジョン設定・今年度の運営方針立案」を書く2時間半は、ただただ時間だけが過ぎるだけで、手も足も出なかった。個人研究終了後、喫煙ルームで勝ち誇ったように「自分には前半は難しかったが、ビジョンは本気で考えいいものが構想できた」「自分は、後半は今ひとつだったが、前半のインバスケット書類の分析はよくできた。優先順位も的確だと思う」という同期入社の係長、後輩の係長の言葉に、ただただ驚かされた。「彼らは、こんな短時間で、ここまで考え、ここまでできているのだ!!」

 「自分は一切何もできなかった。自分は、ほぼ白紙だった。自分は係長どころか、新入社員と同じレベルなのではないか? たまたま旭川という田舎支店なので通用するだけであり、東京に出てきたら、生涯、係長にもなれないのではないか?」その強迫観念だけで、3日間ほとんど食事をとることができず、睡眠もとれず終わっていった。3日目の夜の便で飛んだ旭川はとてつもなく遠かった。「自分は、10年間一体何をしてきたのだ!!」後悔のみが、心の奥深くに、苦く残った。

 1か月後、講師との面談があった。「残念ながら、君の概念化能力は、24名のメンバー中、最低だ。これでは半年間付いてこられないのではないか? 一度本社の人事部長としっかり話し合い、このまま続けるか、降りるのかを明確に決めて欲しい。私は下位層のメンバーには絶対に合わせない。トップレベルに合わせて半年間の研修を進める」
アセスメント結果は、案の定最下位だった・・・・

 翌日、旭川支店に朝5時に行き、自分の席に着いて講師にメールを書いた。「今回の屈辱をバネにして、死に物狂いになって研修から学びたい。半年間お世話になります。つきましては、講師の推薦図書を30冊教えて欲しい。その読書感想文を毎回書くので、添削してほしい。それで概念化能力を飛躍的に向上させたい。最後はトップで卒業したい。図々しいお願いですが、今はそのことに没頭したい」

 その日から、小林君は猛烈に読書し、読書感想文を毎回書いてきた。講師と小林君の間に、凄まじい量のメールのやりとりが重なった。

 ある日の講師のメールから
「読書感想文はあらすじや、単なる感じたことを適当に書く場ではない。小林の人生にとってこのことはどんな意味を持つのか? このことをやることで小林の人生に何が起こるのか? 何を起こそうとしているのか? ○○株式会社旭川支店をどう変えて行きたいのか? 支店を変えていくことで何が起きるのか? それは何故か? そこまで真剣に書いてこそ読書感想文だ!!単なるあらすじ程度でごまかすのなら、私は2度と読まないし、添削もしない」

 この種のメールが講師と小林君の間で、何百通も行き交った。小林君は、6ヶ月間になんと27冊も読書を行い、読書感想文を書いてきた。毎日3時間睡眠を通したと言っていた。当然ながら概念化能力が飛躍的に向上し、彼は、半年後24名中2位の高成績で卒業した。同時に年末の社長提言において、小林君のチームは優勝し、その提言は実際に会社の新規事業として取り上げられることになった。
・・・・
今年(2015年)6月1日の人事異動で、小林君は台湾支店の総務人事部長として赴任した。40歳の部長は、この会社の中で異例の抜擢である。彼は、台湾に赴任する送別会の最後に「あの次世代リーダー研修に8年前に参加していなかったら、恐らく今でも旭川の係長か課長代理でいると思います。8年前の半年間は文字通り修羅場でした。地獄でしたが、僕の人生を大きく変えてくれました。本当に、ありがとうございました」皆の前で、堂々と胸を張ってこう挨拶していた。
・・・・
「研修は何のためにやるのか?」日常のルーチンワークで、卒なく、無難に、仕事をこなすことで自己満足している受講生に対して「現実の実力をまざまざと見せていく」と同時に「今のままでは、間違いなく将来は一切拓けない」ことを本人に気付かせる。「将来なりたい像、将来ビジョン」を本人の意思で明確に決めさせる。そして、そのビジョンに向けて具体的行動を起こさせる。他者の作った外的基準で行動するのではなく、自分の基準で、主体的に行動することの意味を自ら掴ませる。

書いてみたらたったこれだけのことだが、このことがとてつもなく、難しい。研修で人を変えることは、彼・彼女の人生に迫ることだ。そこまでやらないと人は、変わらない。
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