山竹 伸二 著
講談社現代新書 756円
「認められたい」の正体 承認不安の時代
採用の際に企業が学生に求める能力はいろいろあるが、つねに1位をキープしているのは「コミュニケーション能力」だ。コミュニケーション能力が社会人の基本能力だということは常識になっている。しかし、昔からそうだったのか?
 いや、そうではないだろう。高倉健さんは寡黙で知られており、寡黙であることが男らしいという美意識は、スクリーンの中だけかもしれないが、いまでも存在している。
 2500年前の中国で書かれた論語という本には「巧言令色 すくなし仁」という有名な文章があり、言葉巧みで見た目のいい人物は信用できないことが多いと書かれている。そういう価値観は数十年前の日本には存在していた。

 本書も第1章で「現代社会がコミュニケーション重視の社会になっている」、「コミュニケーション能力の不足は就業や出世に影響し、周囲から価値ある存在として承認される可能性が低くなる」と指摘している。しかし、なぜコミュニケーション能力ばかりが重視されるのか? その理由を分析した論者はほとんどいなかった。
 著者は、コミュニケーション能力が重視されるようになった理由を、社会共通の価値観への信頼が崩れたことだと指摘している。社会共通の価値観とは伝統的価値観だ。「困っている人を助ける」、「上手に絵を描く」、「高い運動能力を見せる」などは価値あるものとして他者から承認される。本書では触れられていないが、「誠実」、「やさしい」、「いたわり」などの徳目も伝統的価値観だろう。

 農業主体で人の移動がすくない社会では伝統的価値観は有効だ。人間関係が持続的だからだ。しかし現代はサービス主体の第3次産業に従事する中産階級が増大し、伝統的価値観は意味を失ってきた。そして相手が気に入ってくれるかどうかという「他者の承認」が重要になってきた。
 「承認」が人間集団の原理になっているから、若者は「空気を読んで話し、行動する」という行動様式を取るのだ。ビジネスの本質も「職場の人」と「お客さま」に気に入ってもらうことだと考えられる。

 このようにして著者の論旨を追っていくと、採用の場でコミュニケーション能力が重視されている理由が理解できる。コミュニケーション能力とは相手の承認を得るスキルなのだ。
 こうして「他人指向型」の人間が増えている。「身近な人間関係において場の空気を読み、気の利いた発言を心がけ、気遣いのある態度を絶やさない」のが他人指向だ。「自らの行動の指針を自分で信じる価値観や信念に求めるのではなく、他者の判断に委ねている」と著者は書いている。
 著者の主張は吟味する必要があるだろう。一般的には、コミュニケーション能力が他人指向を意味するとは考えられていないからだ。しかしよくよく考えてみると、もともとコミュニケーションは他者を理解し、賛同することで成立する。これは他人指向を意味する。著者は正しいようだ。

 以上で紹介したのは、本社の導入部に過ぎない。人間の「承認欲望」に対する考察が続けられ、多くの哲学者、心理学者の学説が援用されている。
 読み進めるのが、かなり辛い本だと思う。ビジネス書は、読者が知り、認識しているであろう常識や価値観を前提にしているから読みやすいが、本書の論理展開は網羅的かつ哲学的だ。「現象学」などの難解な用語も使われているし、常識に反する指摘が多い。
 たとえば親子、夫婦という関係でも、それぞれ「妻」や「夫」、「親」と「子」という役割を演じていると述べている。こういう指摘をすぐに了解できる読者はすくないと思う。
 しかし1950年代、1960年代の家庭をテーマにした映画のシーンを思い出すと、その頃の家族は素直に、自然に成立しており、親子や夫婦関係には情愛があふれていたようだ。現代の家庭ではそうではない。それぞれが努力しないと関係は脅かされ、家庭が崩壊する可能性を秘めている。その努力を「演じている」という言葉で表現しているのだろう。

 著者は、企業を意識しておらず、現代社会における人間と、その関係性を論考している。しかし、日本企業の特徴である異様なほど多い会議や打ち合わせの理由も「承認」なのかもしれない。
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