河本 敏浩著
光文社新書 777円
名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉
「学力低下」は日本の教育、人事に関わる人間を悩ましている大問題だ。その原因は「ゆとり教育」というのが常識だ。本書はそんな簡単な図式を否定する。もっともっと問題は根深い。

本書はかなりの数の学力テストや入試問題が掲載されている。冒頭で紹介されているのは、高校生2万6000人を対象に2009年度に実施された問題だ。英語は中学初級レベル、現代文レベルは小学校から中学初級レベル、数学は中学初級レベルだが、いずれも正答率は低く、平均点は英語36.31、現代文41.80、数学に至っては16.97と壊滅的だ。

こんな学力でも大学生になれる。大学進学率は上がり続け、2009年春は50.2%と5割を超え、2010年春には54.3%に急増した。もっとも基礎学力を欠いたまま大学生になる者は、世界的に見て珍しい存在ではない。ただし大学に進学できても卒業できるわけではない。OECD加盟国の大学中退率データによれば、イタリアや米国の中退率は5割を超えている。つまり両国でも進学者の学力は荒廃しているが、日本と違って半数以上が卒業できない。

ところが日本の中退率はわずか10%で、OECD加盟国中最低だ。著者の結論は明快。「現代の日本は、まったく勉強しないまま大学への入学を許可し、かつ基礎学力を欠いたまま(それゆえおそらくは教育効果のないまま)卒業することを許す、世界史上でもきわめて稀有な環境を用意していることになる」。

本書はいろんなテーマについて検証し、われわれの常識を壊してくれる。「学力」に関して多くの人は「自分たちはゆとり世代と違う」と自信を持っている。昔になればなるほど正しい教育カリキュラムで育ち、受験をかいくぐってきたと思っている。また学力に絶対的な基準があるかのように思いこんでいる。これは間違いだ。

大学入試は絶対的学力ではなく、点数という序列で決まる。したがってその難度は時代によって変動している。その要因は人口と進学率にある。本書では東大の英語の問題を1970年と2008年で比較しているが、問題のレベルは1970年が圧倒的に低い。合格点数はほぼ同じだから、2008年に東大に合格した者の方が圧倒的に質は高い。

本書は「人口動態と進学率の変化を見ていけば、大学入試の難度は、一九六八年~六九年において一時的に急上昇し、それが一九七〇年代前半で下落した」。この下落した時期に大学進学した人は現在50代半ば。トップマネジメント層だ。

「丙午世代(1966年生まれ)」は数が極端に少ない(18歳人口が156万人)。この世代は大学入試(1985年)が楽だった。また卒業時もバブル採用のまっただ中。1歳年下の1967年生まれも浪人生が少なかったから、入試は楽だった。

この世代は現在44歳、43歳。マネジメント層の中核を担っている。そして「ゆとり教育はけしからん」という人が多いだろうが、実は自分たちは競争の少ない恵まれた世代なのである。

ちなみに本書によれば、もっとも入試難度が高かったのは1992年前後のころ。団塊ジュニア世代で人口が爆発的に増えたにもかかわらず、上位大学の定員が増えなかったので過酷な競争下に置かれた。つまり学力が高い。現在、30代半ば前後の人たちだ。

現在起こっているのは全体的な学力低下ではない。上位クラスは昔よりはるかに難しい問題を解く能力を持っている。ところが同じ「大学生」なのに小学生レベルの読み書き計算ができない若者もいる。絶望的な「学力格差」だ。

本書はこの現状を「日本型教育制度の終焉」と結論づけた上で、建設的な提言を行っている。それは義務教育修了の資格試験だ。一部の上位人材を除く多くの中高生、大学生に学びの意欲がないのは、学ぶ必要がないからだ。だれでも大学に行ける。そこで義務教育修了資格を制度化する。

内容は中学2年までのものにし、受験機会は中学在学中から高校卒業までに取得すればいい。ただし高校卒業資格と連動している。つまりこの義務教育修了資格を持っていないと大学に進学できない。

中学2年までの内容でも完全に履修できていれば、高校での学習に著しい効果があるはずだ。また社会全体にとって、若者すべてが少なくとも読み書き計算ができるようになるなら、未来への大きな推進力になるはずだ。

以上に紹介したのは本書の一部に過ぎない。多くの仮説が実証的に検証され、一つひとつの仮説が魅力的だ。採用、教育にかかわっている人事にお勧めしたい一冊だ。
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