「職場での朝の挨拶には、明るい人間関係を作る言葉を入れなさい。」
「仕事に就いた1年目は、周りの人達を見習い、キチンと自分の仕事をすること。」
「2年目は、その仕事の改善。3年目は、より高いレベルの仕事にチャレンジすること。」
「3年間同じ仕事を同じようにやるのは、怠け者だ。」

これが、入社時に私が上司から言われた言葉です。
第2回 最初の勤務先、米軍広報部の上司がくれた貴重なアドバイス
敗戦後、私の最初の就職は、当時の住まい近くにあった、座間市の在日米陸軍司令部の広報部でした。入社直後に上司のヘレィン・フジタさんが、前述のようなアドバイスをくれ、これはそのまま、私の「働く女性としての心構え」となりました。

フジタさんは、元ハワイ大学の教授で、夫とともに来日し、米軍に勤めていました。私は初め、緊張し硬くなって、部屋の入り口付近から小声で挨拶しました。すると、彼女は手招きして私を自分の側に呼び、

「挨拶は人間と人間がするもの。明日からは私の机の側まで来て、名前を呼んで挨拶しなさい。お早うと言うだけでなく、親しみ深い一言を加えなさい。例えば『今日は桜が、ほころびかけていた』とか。小さな会話が、人と人との交流を深めるのです」

と教えてくれました。さらにこの時、冒頭に掲げた一連のアドバイスを、私にしてくれたのです。フジタさんのこれらの言葉や言動は、その後、ずっと私を導いてくれたように思います。

広報部の仕事は、毎朝、日本の新聞を全国紙、地方紙ともに読み、そこから米軍関係の記事を拾い、その記事が掲載されている紙面の場所や、見出しの文字の大きさ、記事の分量などを計算することです。そしてこれらの内容がそれぞれ親米か、反米かを判断してリストを作り、上司に報告します。上司から英訳を指示された記事があれば、それを英訳して提出するとともに、一週間ごとに司令官に提出する報告書なども作成していました。午後は、陳情者の通訳や、上司の秘書業務などをします。忙しいながらも毎日が充実しており、楽しく働いていました。

フジタさんはとても褒め上手、励まし上手で、何より、情がある人でした。ある日、こんなことがありました。フジタさんは私に「末の子を職場に連れて来て、母親の働く場所を見せて安心させなさい」と言いました。言われた通り、私は子供を連れて出勤し、その日は一日中働いている姿を見せると、帰りは一緒に帰りました。子供は、普段私が何をしているのかが分かったことで、情緒が安定し、落ち着くようになりました。

仕事を面白く楽しくやっていた3年目に、在日米陸軍司令部の人事部から声が掛かりました。「君が毎日忙しく働いている広報の仕事は、司令官の目、口、耳の役割ともいえる大切な仕事だが、人事部に移って、管理者訓練の仕事をしないか。その仕事では、あなた自身が相手に直接話して、影響を与えることが出来る。それは、人事部の教育コンサルタントという職務だ」と。これを聞いた私は、面白そうだと思って上司のフジタさんに相談しました。

するとフジタさんは、「新しい仕事をやりたいたいの?それとも単に給料アップが目的?」と聞かれ、私が「前者です」と答えると、「それなら賛成です」と言って、素晴らしい推薦状とともに私を送り出してくれました。

このフジタさんのアドバイスと励ましにより、私は今日まで教育コンサルタントの仕事を続けることができたのです。良い上司に恵まれることは、その人のキャリアに素晴らしい影響を与えるということを、私は身をもって体験することができたといえるでしょう。
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