「○○さんは、何歳にみえるでしょう!」と10歳刻みくらいの女性3人の見た目年齢と実年齢をあてるネット広告がある。答えをクリックすると、実年齢より若く見える人が使うサプリの宣伝。わかっちゃいるけど心が動く。私達はまことにひと目を気にした中で暮らしており、良きにしろ、悪しきにしろ、ありとあらゆるところに評価(ここでは主に心理学的評価とする)が付きまとう。
それにしてもなぜ、これほどまでに他人の目が気になるのだろうか。
他人の目、意識しすぎていませんか?

「他人の目」が気になるそのワケは・・・

自身の経験とも合わせ、長年腑に落ちなかった中、一冊の本に出合った。そこには、他人の目を気にする、ということは“生物として自分の安全を確保するように組み込まれたもので、異物を認識するため”だと書かれていた。つまり、見た目を異物と認識するか否か、ということが生死に関わるのだ。

上述の本とは、認知心理学者のダニエル・カーネマンの著書「ファスト&フロー あなたの意思はどのように決まるか」である。本書では、人は利益を得られなかったことよりも損失を被ったことの方に強く苦痛を感じることを述べている。これを“損失回避”という。当たり前じゃないかと言われそうだが、“安全確保”という生物学的な考察について“損失回避”で説明している点が興味深い。

ある実験によると、怒った顔は大勢のニコニコ顔の中から“飛び出して見える”。一方大勢の怒った顔に混じった一つのニコニコ顔は見つけるのが難しい。人間に限らず動物の脳には、悪いニュースを優先的に処理するメカニズムが組み込まれているからだという。サクランボが山盛りの器に1匹のゴキブリが入っただけですべて台無し、と思っても、反対のケースでは何の感情も引き起こさない。

“見た目の異物“とはすなわち“損失”であり、私達は本能的にその部分に過敏に反応するようになっている。故に、「人の目が気になる」のは生物として致し方ないメカニズムでもあるのだ。

他人の目からの解放

さて、職場を見まわした時、カーネマンの事例は示唆に富んでいる。すなわち、たった一人の「いやな奴」がいると、もうその職場の全てがいやになるというわけだ。
だからといって、全員が同僚や上司といった「他人の目」を気にし、回りの雰囲気に気を使い、目立つこと、嫌われること、失敗を避ける職場は、果たして本当に「良い職場」だろうか。
このような職場は、一見穏やかで協調性がありそうだが、「他人からの評価」という点ばかりが増長してしまう危険性がある。その結果、能率的な仕事のやり方を阻害するストレスフルな場所となり、柔軟な働き方を模索することも難しくなるだろう。

大事なのは、「自分がどのように評価されるか」に心を捕らわれるのではなく、「いかに相手側のことを考えるか」ではないだろうか。そのように心を砕けば、他人の目が気にならなくなるだけでなく、真に気持ちのよい対人関係、職場環境をも構築できると思うのである。
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