我が家の食卓は木製の丸テーブルである。 直径1.5mと大きめだ。
20数年一緒に過ごしてきた、静かで、こころ広い家族である。広島のマルニというメーカーさんが試作した1点で、“私のいろり”と呼んでいる、大切な食卓だ。

いのちの糸をつなぐもの

このいろりを囲んで食すひとときは、至福の時である。いろいろな理由にかこつけて、小さな宴をもくろむ。 私にとっては、家らしい温もりを保つ、唯一の場である。
だが、日本の家屋から、囲炉裏が消えて久しい。 囲炉裏のオレンジの炎や、火鉢の炭火も消えた。薪になり、ガスになり、IHの時代になって変化の速度が増してきたらしい。

最近、地方紙に投稿された嫁姑問題が大変な反響を呼んでいる。身近な人々もこの投稿に話しが及ぶと、“私の場合は、、、”と、とどまる所をしらない関心ぶりである。
嫁という存在の否定。家族の定義・価値観の変化。思い込みのズレ。 そうだ、そうだ、と 心当り大あり。 皆密かに胸にしまっておいたものが、投稿をきっかけに、「やや、あなたもそうだったの」の大合唱。

不和の症状として現れるのが、食事を一緒にしなくなることである。 一緒に食事をしたくない、は大げさに表現すれば“あなたのいのちには関与したくない”。 気分としては“家族ではない”、というメッセージである。
食は家族のいのちの糸をつなぐものだ、と思っている。食を整えるものはその糸を握っているのである。寮生活のごとく食事はつくるけれど、あとはセルフよ、はまだ良い。糸を切ろうというのであれば、問題は大きい。 底が抜けていく。

火はそのままで熱を発して暖いが、IHは抵抗が熱をつくる。 時代の偶然だろうか。
食に対する姿勢、考え方は人のいのちの守り方を語る。 家庭から一歩、問いをすすめてみる。

かたちを変えた玉砕思想が、過労死を招く

料理の師であるT先生が昨年10月の朝日新聞のインタビューの中で語った。 
結婚後わずか20日で出征し、フィリピンで戦死した夫への思い、そして多くの戦死者のいのちと引き換えの憲法9条の重さ、75歳にして初めて激戦の地を訪れ、50年たってやっとたどり着いた自身への答えを。

この地での230万人といわれる戦死者のうち、驚くべきことに7割は餓死であった。
T先生は、人のいのちの守り方の思想が違う、と語っている。
なお、戦略において食糧補給を軽視したために餓死した戦没者については、藤原彰著の“餓死した英霊たち”が詳しい。作中では、死臭がするような様が記録されている。電池がきれたら、それでおしまい、なのである。
また、自活の道として現地での食糧生産も計画されたことにも驚いた。開墾もし、戦えと命令されていたのだ。食の糸は日本軍が握っていたのである。弱々しく短い糸で。

いつでも手に入ると信じて疑わない現代の食糧事情で、ボケている頭にバケツの冷水をかけられた。日本が精神論を高くかかげ、最後は玉砕することを良しとし、降伏して生きる可能性を選ばなかった思想。過労死を考える時、この思想の根っこの切れっぱしが残っているのではないかと、疑うのである。

戦争当時と今では人権への重きが違う。しかし、降伏を許さない、玉砕をよしとする文脈が、どこかに残り、かたちを変え、人を追い詰めていくところはないのか。自問する必要がある。生きていてこそ、である。

今は食糧もあるし、日本にいる限り選択の幅は広く、物資は豊富だ。しかし、どれだけ豊富であっても、何の脈絡もなく、ただ着るだけの当座の衣服、掃除・手入れの行き届かない住空間、腹におさめるためだけの養分補給で留まっていては、いつまでたってもいのちを整えることは身につかない。

そんなこと、と思うなかれ。
仕事の段取りの重要さは、十分に分かっているのかもしれないが、現代のストレスフルな職場環境を生き抜くために、もうひとつ身に付けなければならないものがある。 いのちを整える段取りである。

自分の心身と向き合い、対話し、世話することだ。ひとりひとりの、仕事を含めた日々の暮らし、衣食住に組み込まれることで、はじめてよい方に向く。

いのちの守り方の思想が企業の生死を決めるようである。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!