たまたま塩抜き断食をやったところ、心身の感度が揺さぶられことをきっかけに、三木成夫氏の著書を読み返した。

昨今、企業と社員の健康の関わり方が課題になっている。健康経営の中にストレスチェック等を組み込み、心身の感受性を取り戻し、生産性をあげ、心身ともに健康に働く社員が健全な企業成長に繋がる道を進みたいものだ。
だが、メンタルの問題を語る時、精神・こころ・あたまがごっちゃに使われているように思える。改めてこころが生まれるメカニズムを理解した上で、心身の不調の大きな要因となる時間管理の重要さを知っていた方がよい。

こころとからだの健康に関わる者が持っていたい一本の柱として、三木氏の著書を薦める。
心は、はらわたにあり

塩絶ちで内臓が目ざめる

我ヨガの師匠が断食を行い、その効用を語った。食しん坊の私はとても断食などできぬと思っていた。 
ところが 野菜・くだものは食べ放題だが塩は抜く、という方法もあるとのことで、試みた。人間の体は飢餓に備え、過剰な脂肪、塩を貯める。排出する機会がないと長年貯めた塩がじわじわと溶け出して悪さをするという。

1日目は平和に終了。2日目の朝、起きがけから気分が沈み、やる気が全く湧いてこない。家を出る気がしない。頭痛、眼痛、眠気、あくびに襲われた、不快な一日だった。解禁の朝、起きがけのコーヒーの香りに幸せを感じつつ、食事を取り始めるや、体の芯から衝撃の如く力が湧きあがってくる。体の隅々までエネルギーが行き渡る快感が新鮮だった。

この感動から1冊の本を読み返した。三木成夫氏の“内臓のはたらきと子どものこころ”。副題は“こころの目覚めは、食と性の宇宙リズムである内臓波動がひきおこすーー「小宇宙」としての内臓から「こころ」を考えるために”だ。

精神、こころ、あたまの関係

「こころ」とは、快・不快を乳幼児の時にたっぷりと重ね、
内臓感覚を鍛えることで生まれてくるという。

いわゆる“精神”を支えるものは“こころ”と“あたま”だが、三木氏は、この両者は対照的であると言っている。あたまは判断とか行為と言った世界に君臨するのに対して、こころは感応と共鳴といった心情の世界を形成する。だが、人間を解剖学からみると あたまは体壁系、心は内臓系である。 いわゆる“はらわた”を「内臓系」というのだが、心のほかにも、顔(何と内臓が外にでたもの)や、心臓などがあり、私のこころは、と胸のあたりに手をあてるのは、実は自然なことなのだ。
心と体は構造として一体ということがよく分かる。だからこそ、内臓の感覚の快不快は人間苦の究極の引き金だと氏は説いている。

赤ん坊に戻って内臓感覚を鍛え直すことは出来ないが、大人にも出来るのは、自分のからだのリズムをつくることである。このリズムが乱れると心身の不調を生む。

ふりかえって「企業と社員の健康の関わり方」については、ストレスチェック制度のように企業の責任をより多く求めるものや、健康経営のように企業利益の投資と考えるものがあるが、私達は死ぬために働くわけではない。働いて幸せになりたいのだ。

企業活動の価値感の転換期である。言い古された解釈だが、働くとは、ハタが楽になることだ、と言われる。
仕事を抱えて困っている人に手を貸す、思い荷物を持つ人を助ける、そんな感受性を失いかけてはいないだろうか。この感性はビジネスの種、お客様に対して大切な気づきだが、企業の内側においてはどうなのだろうか。

自分の腹を触ってみて固いなら、要注意である。こころが固くなっているかもしれない。
三木氏の本を“こころとからだの健康を考える基本書”として、一読を強く薦める。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!