季節の話題としてマイナンバーがある。運用にあたっては、当たり前のことを当たり前にすることがポイントだが、個人の生活においては往々にしてこの基準が違う。 このように、期待する側と実施する側の差異はトラブルの原因となる。
今後ますますストレスフルな社会を生き抜く上でも、人をほめられる考え方とスキルを持つことが非常に重要になる。
ビジネスパースンとしてITも大切だが、人としての向き合い方を知らずには生き残れない。 その具体的なスキルとしてほめ言葉を使えることが重要になる、ということだ。
褒め言葉貯金

当たり前の基準が違うと

マイナンバーの通知カードを、私も本日受領した。 
この何カ月かセミナーや企業の支援に携わったものとして、社会に歓迎される将来を願いつつ開封した。

企業のマイナンバー運用に関しては、「大切なものを大切に扱う」ということが当たり前になることがポイントだが、この“当たり前”感覚、人間関係の誤解を招く元凶にもなる。

内輪の話しで恐縮だが、先ごろ母と義姉、つまり嫁姑間で激震発生。
母は嫁に対する“当たり前”感覚が想像していた以上に強いことが分かった。「自分の考えていることは他人も同じ」という感覚は、世間の常識を疑わない幸せな(?)母としては、当然のことなのだ。
家族といっても小さな組織である。 姑は上司、嫁は部下の関係にもなりうるわけで、当たり前という一種の甘えは、誤解や妄想に発展することもある。 
当たり前は、指示命令口調を招き、企業における上司、部下の関係が明らかな場合より始末が悪い。 当たり前なのだから、こちらから歩み寄って“お願いする”ことなどないのである。

言葉はいのち

当たり前の意識から感謝の心は生まれない。ほめるには良いところに気づくことであるが、どうしても悪いところに目がいってしまいがちである。 年と供に自分の活動に制限
が加わるとよけいに、“出来ないこと、失っていくこと”に囚われてしまい、目の前にある価値あるものに気づかなくなる。
不幸というものがあるならば、ありがとうと言えないほど不幸なこともない。それは自他ともに認めないことになる。

職場でも家庭でも、顔と顔を合わせるという基本に立ち返るとともに、やはり、言葉が大切、であると思った。今回の件で、母自身も当たり前感覚に疑問を持ったようで、言動に反省の色が伺える。いくつになっても学ぶことはあるのだ。

私達はこころでは感謝していても、照れくささや我が強くて言えない、こともある。また感謝の語彙が足りなくて、どう表現したらよいのか分からないこともある。
人手不足を補うために、1人1人の仕事の負担が多くなっていることからギスギスしている職場を“不機嫌な職場”、と呼ぶ。 今後ますますストレスフルな社会に対処するためにも言葉の力が不可欠だ。
ネットの発達で知識や情報は格段に入手しやすくなった。しかし、いくら知識や情報があっても生き方まで教えてくれるわけではない。
いい言葉、ことにほめ言葉をたくさん使えることは生き易くする知恵である。

齋藤茂太氏の著書は大切なことがわかりやすく書かれていて好きだ。 
“会社、仕事、人間関係がもういやだ、と思ったときに読む本“、 ”愛し上手は愛され上手“などたくさんあるが、中でも“いい言葉は、いい人生をつくる“はいい言葉を選んだ時から人生がいい方向に変ってくるのだ、と感じさせ、明るい気分になる。

整体のマイドクターは「自分でなおそう、と思った時から体って治りはじめるんだよ」とおっしゃる。ほめられるのではなく、ほめる側に回る、ということだ。
ほめ言葉をたくさん貯めて、どんどん使おう。元手は相手の良い所である。減る心配もない。
上手に使えば使うほど豊かになる、という貯蓄である。
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