企業の「社員研修」熱は高い。「新人研修」「管理職員研修」に加え、「メンタルヘルス研修」「パワハラ・セクハラ研修」「SNS研修」と、百花繚乱の様相を呈している。
研修の評価は難しいが、成果はどうなのだろうか? 能力開発研修の必要性は十分に認められるし、異を唱える者はいないだろう。しかし、組織の活性化という視点で考えた場合、研修のあり方を再検討してもよい時期に差し掛かっているのではないかと思う。あえて問題点を挙げるならば、「何を目的として研修を行い、到達点はどこで、どのような成果をもたらすべきなのか」といった「研修設計」がなされていないケースが多いのが1点。2点目は、個人の能力開発に重点を置き過ぎ、「組織開発」という最も大切な部分がなおざりにされているのではないかということだ。
組織には「遊び」と「風通し」が必要(前編)

働かないアリに意義がある―構成員の多様性を生かす

個人と組織の関係に関しては、「個人の能力差は大きくなく、各人が組織の中でどう活かされているのかが大切なのだ。」と考える。欲張った考え方かもしれないが、組織の発展つまり経営の発展のためには、構成員の多様性とその多様性を生かす組織風土が必要だと思っている。
個人向けの能力開発研修は、「個人のスキルアップ→組織のスキルアップ」を意図していると言えよう。しかし、それだけでは組織のパフォーマンスは上がらない。そこに、組織をどう動かすかという視点が欠落しているからだ。ここで、ヒントになるのが北海道大学 長谷川英祐准教授の『働かないアリに意義がある』という著作である。
長谷川准教授は、ハチやアリといった「真社会性生物」の研究者である。生物学では、ある特殊な集団構成を持つハチやアリなどの生物だけを「真社会性生物」と呼ぶそうだ。イソップの「アリとキリギリス」では働き者とされているアリだが、実際には働いているとは見えないアリがコロニーの一定数(実験により7~2割)存在するそうだ。長谷川准教授は「反応閾値」(はんのういきち)という概念を使って、これがアリのコロニー維持装置となっていると説明されている。
「反応閾値」とは、「刺激に対して行動を起こすのに必要な刺激量の限界値」だそうだ。つまり、「仕事に対する腰の軽さの個体差」のことである。アリの世界では、こなすべき一定の仕事が発生したときに、「反応閾値」によりすぐ仕事にとりかかるアリ、なかなか仕事に取り組まないアリが個体差で存在するそうだ。これが組織の維持に極めて効率的に機能すると説いておられる。
曰く、「ある個体が一つの仕事をしていて手いっぱいなときに、他の仕事が生じた際、その個体が新たな仕事を処理することはできませんが、新たな仕事のもたらす刺激値が大きくなれば反応閾値のより大きな別の個体、つまり先の個体より「怠け者」の個体がその仕事に着手します。このシステムであれば、必要な個体数を仕事量に応じて動員できるだけでなく、同時に生じる複数の仕事にも即座に対応できます。」(P57~P58)
つまり、アリ社会では腰の軽いものから重いものまで多様な個性を持ったアリが存在し、しかもサボタージュしようと思っているものはいないということだ。司令塔の存在がなくてもこれら様々な個体が交じり合って組織がうまく回る、という信じられないような生態に唯々驚くばかりである。また、「反応閾値」は仕事ごとに異なっているという。何とすばらしいシステムなのだろう。さらにコロニーの存続に関しては、全員が一様に働くシステムより、働かないものがいるシステムの方が長い期間存続することがわかったと解説しておられる。
「~誰もが必ず疲れる以上、働かないものを常に含む非効率的なシステムでこそ、長期的な存続が可能になり、長い時間を通してみたらそういうシステムが選ばれていた、ということになります。働かない働きアリは、怠けてコロニーの効率を下げる存在ではなく、それがいないとコロニーが存続できない、きわめて重要な存在だといえるのです。」(P75)

長期的存続が可能な非効率な組織

アリの社会では、働かないものを含む一見非効率的な組織こそ長期的な存続が可能になり、このような組織が選択されてきた、ということになる。働かないアリは、アリの組織には必要不可欠で重要なプレゼンスを発揮しているのだ。
「性能のいい、仕事をよくやる規格品の個体だけで成り立つコロニーは、確かに決まり切った仕事だけをこなしていくときには高い効率を示すでしょう。しかし、ムシの社会もいつ何が起こるかわかりません。高度な判断能力をもたず、刺激に対して単純な反応をすることしかできないムシたちが、刻々と変わる状況に対応して組織を動かすためには、様々な状況に対応可能な一種の「余力」が必要になります。その余力として存在するのが働かない働きアリだといえるでしょう。ただし何度でも強調したいのは、彼らは「働きたくないから働かない」わけではない、ということです。みんな働く意欲はもっており、状況が整えば立派に働くことができます。それでもなお、全員がいっせいに働いてしまうことのないシステムを用意する。言い換えれば、規格外のメンバーをたくさん抱え込む効率の低いシステムをあえて採用していることになります。しかしそれこそが、ムシたちの用意した進化の答えです。」(P76~P77)
同質的な個性の持主ばかりの組織は崩壊を待つだけだ、と言えなくもない。「余裕=遊び」をビルトインした組織こそ、様々な改革が進み、未来に生き残る可能性を秘めていると考えるのは浅はかだろうか?
また、この著作では、広島大学の西森拓博士の研究グループが行った「アリ1匹1匹の動きの精密さ」に関するシミュレーション分析も紹介されている。
「六角形を多数つないだ平面空間を、エサを見つけるとフェロモンで動員するアリAが移動していると設定し、Aを追尾するワーカーには、Aのフェロモンを100%間違いなく追えるものと、一定の確率で左右どちらかのコマに間違えて進んでしまううっかりものをある割合で交ぜ、うっかりものの混合率の違いによってエサの持ち帰り効率はどう変わるかを調べたのです【図1】。するとどうでしょう、完全にAを追尾するものばかりいる場合よりも、間違える個体がある程度存在する場合のほうが、エサ持ち帰りの効率があがったのです。」(P44~P45)



これも、命令に従順な人ばかりの組織より「異端児(冒険心、野心、反骨心などを持った)」も一定数いる方が組織としては発展していくことを物語っているのかもしれない。
人間社会の組織に「働かないアリ」をビルトインすることは難しいだろう。ただ、本業だけの効率性を追求するだけというのもいかがなものかと思ったりする。私の経験則からも、「本業」とは切り離された「遊び」の感覚はぜひとも組織には必要なものだ。さもなければ新しい発想を持った社員は育たないし、企業の経営発展を意図した組織の効率性は生まれてこないだろう。多様な社員を育成するために、「出張に自由研修の1~2日をプラスして見分を広めてもらう」「社員のプライベートな旅行に補助金を出す」などすぐにでも出来ることから始めてみてもよいのではないだろうか。 (つづく)
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