社会保障が充実した国といえば、北欧諸国、中でもスウェーデンを思いつかれるのではないだろうか。一時の民主党政権時代には、スウェーデンをモデルに年金制度改革をという議論もされていた。
税金や社会保険料が高い分、「ゆりかごから墓場まで」の理想的福祉国家というイメージがあるが、「隣の芝生は青く見える」もの。スウェーデンは日本人にとって本当に理想的国家なのか、再考することも、あながち無駄ではないような気がする。
社会保障制度に頼りすぎるのも考えもの?
まず、日本がどのような国であった(ある)かを私の生い立ちから紐解いてみる。

昭和30年代前半生れ、しかも九州・佐賀県の田舎育ちとなると、親類縁者は言うに及ばず、そこには向こう三軒両隣の世界が広がっていた。近所の家の間取りも熟知していたし、「ごはん」を御馳走になるのは当たり前、家風呂の水汲みや田植えまで手伝っていたのだ。家での子供の役割が決まっていたため、私たちは遊ぶ時間欲しさに相互扶助精神を発揮していたのである。
今にして思えば、すごい「ムラ」社会で育ったんだなぁと感心している。懐古趣味があるわけではないが、日本には未だそのような感覚が多くの人たちに息づいているのではないだろうか?

阪神や東日本の震災で被災した人たちを温かく迎え入れたのは親類縁者やご近所の人達であった。日本には、いい意味でのボランティア精神が生き残っていると思う。(中には、詐欺師みたいな輩がいることも否めないが。)

一方で、北欧スウェーデンはどうであろう? 1970年代を席巻したユーロコミュニズムの残影か、大きな政府つまり福祉国家として、高い国民負担率の下、「公」が何でもしてくれるという風潮が蔓延しているように思える。
20年以上昔のことだが、渡欧したとき知り合ったドイツ人曰く「スウェーデン人は無口だ」。その時は、特段気にとめることもなかったのだが、この「無口」には言外に「人への無関心」「人と距離を置く」という意味が込められていることを後々知ることになった。スウェーデンは家族関係が希薄で、互助精神が乏しく、個人主義といえば聞こえはいいが、隣は何をする人ぞ、という殺伐とした社会なのである。

また、スウェーデンは、なかなか車が停まってくれず、ヒッチハイクをしにくい国としても有名だと聞いたことがある。彼らは、「困ったことがあったら警察などの公の機関に助けを求めればいい。そのために、自分たちは高い税金を払っているんだ。」と考えるようで、物事をお金で解決する合理的な発想の持ち主なのだ。彼らにしてみれば、国の枠組がそうなっているので、至極真っ当な生き方なのである。
我々日本人にはどうだろう。少なくとも私は、スウェーデンに生まれなくてよかったとホッとしている。ボルボやアバ、最近ではイケアの家具も好きだけれども。

いかがだろうか。スウェーデンと日本。社会保障制度を充実しすぎると人間関係が希薄な社会になっていくのだろうか。決してスウェーデンを批判するのではなく、超高齢社会に至った我が日本が、これからの国の在り方としてどうあるべきかを考える際に参考にすべき大事なことだと思う。

社会保障の枠組はどうあるべきか? 最終的には国民一人ひとりが決めることだが、私には「地域コミュニティの知恵」のような日本の文化?も、組み込んでいただきたい気がしている。社会保障の負担増による財政破綻を心配するよりも。
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