このコラムは、人事部で働く人々にインタビューし、メンタルヘルス対策にかける思いを中心に、その人生の一端を「物語」仕立てにしたものです。(※文中の名称はすべて仮名です)
~人事課長・春代の物語「社員全員を船に乗せ」第2話~

ある日の復職判定会議

「どうでしょうか、先生・・・?」
春代の問いかけに、産業医の御園は「うーん・・・。」と唸って腕組みをした。「正直、厳しいよねェ・・・。」と続ける。
「やっぱり厳しいですか・・・。」春代は応えながら、どうにも重たい空気が会議室に流れるのを感じていた。

復職判定会議。毎月、産業医の御園の訪問日に開かれることになっているこの会議は、人事部長、人事課長である春代、休職者の上司が同席して、休職者が復職できるか否かを協議する。
先ほど産業医面談を終えて帰っていった真田の後ろ姿を思い返した。
真田はもう1年間もうつ病で休職している、50代の男性だ。しかも、今回の休職が初めてではなく、以前にも二度ほど休職と復職を繰り返していた。
「でもさぁ、もうすぐ休職期間満了になっちゃうんでしょ?」
御園が書類をコツコツと指で叩く。
「そうですね。今月復職できないとなると、休職期間満了退職、ということになりますね。」人事部長が答える。
「それは、本人困るだろうねぇ。まだお子さんも成人してないって言ってたし。あの歳でうつ病抱えて再就職なんて難しいしねぇ。退職なんてことになったら、家族が生活できなくなっちゃうでしょ。まぁ、ここらで一回戻してみますか。」御園が意見書を書きかけるのを、春代は思わず止めた。
「でも先生、本人の回復状態からすると、本当は復職レベルにはなっていないんですよね?」
「そうだねぇ。まだ睡眠のリズムも安定していないしね。今日も面談に遅刻してきたし。」
「過去の真田さんの休復職の経緯を振り返っても、まだ十分に回復していないうちに、経済的な理由で本人が復職を希望して、会社が温情で復職させてしまって、またうつ病が悪化して休職、というパターンを繰り返しているんです。復職しても、職場で求められるパフォーマンスと本人ができることにかなりの乖離があって。本人も、ずっと苦しそうだったんです。また同じ状態で復職させることが、本当に本人のためなんでしょうか?」
「じゃあ復職不可にするの?そうしたら本人、路頭に迷うよ?風吹さん、責任とれるの?」
御園は若干気分を害したように椅子の背もたれに体を投げ出す。「責任とれるの?」と言われた瞬間、いつもの片頭痛が強くなったような気がしたが、なんとか考えを伝える。
「いえ、例えば、本人の回復を待って再就職を支援したり、休職期間を延長してでも、きちんと回復するよう休職中にリワークを紹介するなど、もう少し能動的なケアも考えられるかと思ったのですが・・・。」
「ごもっともなんだけどね、そういうことを全ての休職者にやるには、労力もコストもかかるよ。そもそも、この会社は休職者が多すぎです。社員の働かせ方変えたり、本当に体系立てて復職支援に力を入れるなら、僕も判断変わるかもしれないけど、この人だけに、思いつきで手厚い支援するのも不平等だしね。とりあえず今回は復職させるから。全体的なことは、会社としてよく考えて。」
御園はそう言うと、今度こそ意見書にペンを走らせ始めた。春代もそれ以上は言えずに、肩を落とす。そもそも春代も、このメンタルヘルスの分野に関しては、何が正解かがわからないのだ。真田の人生に責任がとれるほど、人事として真田本人と真剣に向き合っているとも言えない。
ただ御園の言う通り、ここ数年、うつ病の社員は増加の一途をたどり、自殺者すら出ているのが現状だ。その状態を改善するのに、何から手をつけていいのか、どこまで原因を突き詰めればいいのか、春代はずっとつかめないでいるのだった。

「その瞬間」のために

お風呂上りの寝間着姿のまま、ダイニングでパソコンに向かっていると、夫の義和も風呂から出てきた。
「また仕事してるの?」冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、義和が心配そうに声をかけてくる。
「うん・・・。」相変わらずパソコンとにらめっこしながら生返事をすると、ぽんっと目の前にビールを置かれた。
「そろそろ切り上げてさ、一緒にビールでも飲もうよ。」
義和は柔和な羊のような目をしている。
「うーーん・・・。」迷いながら頭を抱えると、「なに?また頭痛いの?」とさらに心配そうな声になった。「うー・・・。」春代は声にならないうめき声で答える。
「ああ、そう。迷っているだけね。迷っているなら、やめちゃえやめちゃえ。」義和はわざと、グビリと喉を鳴らして美味しそうにビールを飲む。会社ではテキパキハキハキ『竹を割ったような性格』と言われる春代だが、義和の前ではほとんど意味をなさない言葉で会話をする。それでも義和は、だいたい春代の言いたいことを汲み取るのだから、たいした夫だ。

「やっぱり、いい。」春代がビールを押し戻すと、義和はため息をついた。
「春代は頑張り屋さんすぎるんだよなぁ。中学からずっとバスケやって、体育会系で鍛えているから、『やってあたりまえ』『頑張ってあたりまえ』って思っているでしょ?少しは自分を甘やかさないと、いつか前のめりに倒れるぞ~。」

確かに、バスケットボール部時代に体験した、本当に頑張った先に開けるなんとも言えない瞬間、例えば、スリーポイントシュートを外さずに打てるようになった瞬間や、試合で勝利をもぎ取った瞬間など、「これかも!」と何かをつかんだような気がする、その瞬間が、春代は好きだった。
(職場でも、その瞬間をつかみたいのかもしれない・・・)
だが、人事に20年いても、人を相手にする仕事において、どうすればその瞬間がやってくるのか、春代はまだわからないでいた。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!