このコラムは、人事部で働く人々にインタビューし、メンタルヘルス対策にかける思いを中心に、その人生の一端を「物語」仕立てにしたものです。(※文中の名称はすべて仮名です)

★前回までのあらすじ
「人間関係は鏡」という言葉から思いついた、管理職への「ありがとうエピソード」集め。同期や後輩の力もかりながら、ついにそのアイディアが動き出した。
~人事部3年目・冬美29歳の物語「うつ病の新入社員を救え!」第9話~

集まった「ありがとうエピソード」

同期・後輩、約500人に企画の趣旨を説明する一斉メールを送った。大半の返信は好意的なものだったが、中には厳しい意見もあった。
「ありがとうと思う上司がいません」
「そんなことしても、会社は変わらないと思います」
「ありがとうのエピソードだけ集めるなんて、偽善ぽくないですか」

冬美は、決して無理強いするつもりはないのだということを強調しつつ、会社の「欠けている部分」ではなく、会社の「感謝できる部分」に目を向けてみたいのだ、と丁寧に説明していった。
最終的に、300程度のエピソードが集まった。
冬美は、そのひとつひとつを、宝物を手でくるむような気持ちで読んだ。

『若い頃の質の高い失敗は、成功と同じことだから。フォローしてやるから、どんどん失敗しろ!と言ってくださって、ありがとうございます。課長の覚悟にしびれました』
『○○やってみるか?……新人で配属されて以来、課長のその言葉とともにたくさんの仕事を任せていただきました。まだ自分には早い仕事もあったと思いますが、失敗したら俺が頭下げるから、と任せていただき、そのおかげで成長できました。ありがとうございます』
『部長の不機嫌な顔を見たことがありません。どんなにお忙しいときも、優しい目で相談にのっていただき、ありがとうございます』
『私の心意気を認めてくれて、リスクを承知であの企画にGOサインをくださって、ありがとうございます』
『間違いなく、係長がいたからあのプロジェクトは成功しました。徹夜続きでも係長が先頭に立ってくださっていたから、係長のために頑張りたい!と思えました。尊敬できるSEの元で仕事ができて嬉しいです』
『命令するだけでなく、行動で示してくださる課長。査定とか評価とか関係なく、ただただ課長に褒められたくて仕事を頑張れました。ありがとうございます』
『いつも調子が悪いときには必ず、どうした?大丈夫か?話聴くぞ、と声をかけてくださって、ありがとうございます。私の状況を、いつもお見通しですね!』
『恋人と別れたとき、とことん飲みにつきあってくださって、ありがとうございました。課長のおかげで立ち直れました』
『真っ赤に染まった企画書。あのときはまいりましたが、お客様に無事認められて、課長の指摘の鋭さに気づかされました。勉強になりました』
『アンテナを常に張り巡らせろ、社内の常識に染まるな、自分はプロだと胸を張れるようになるまで勉強しろ…部長に言われたことは、いつも自分の胸にあり、自分を戒めてくれます。ありがとうございます』
『異動の内示があった日。飲み屋で思わず泣いてしまった私に、挑戦したことは必ず自分の糧になる、と励まし続けてくださって、ありがとうございました。最後にポツリと、でも本当はお前を手放したくなかった、と言ってくださったことが、今でも自分の支えになっています』

冬美の知らないところで、社内のあちらこちらで、人間同士の心の交流がある。ドラマがある。物語がある。たくさんのエピソードからそのことをしみじみと感じ、冬美の心は温かく満たされた。

冬美は、集まったエピソードをカテゴリで整理し、見栄えを良くして、一冊の小冊子のようにまとめてみた。

そして、意を決して一之瀬の席に向かった。
「…課長、見ていただきたいものがあるんです」
一之瀬が顔を上げて、冬美を見た。
冬美はその目を、真っすぐに見返した。
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