ナチュラルモーションというコンピューター上で仮想人体を動かすプログラムモジュールを提供している英国の会社がある。この会社は、一から設定すると複雑な演算を必要とする自然な人間の動きを容易にゲームやアニメーションの中で実現するツールを提供している。

 実は、この会社がツールを作成する考え方を、「アルカリーリ教授のサイエンスレッスン 第3回 驚くべきカオス理論"The Secret Life of Chaos"」という番組で見る機会を持つことができた。その原点は、同社の共同創業者であるトーステン・レイル氏が大学の卒業論文で作成した「複雑系と進化の相互作用」の考え方にあったようだ。所謂、遺伝的アルゴリズムを活用した機械学習である。
  番組内では、歩行を扱うプログラム開発の様子が紹介されていた。最初に100個の歩行プログラムをランダムで作成する。そのランダムな第1世代の歩行プログラムは、まったく歩けない。歩き出せば転び、足をばたばたさせる奇妙な動きをする。しかし、第10世代では、2歳児のようなよちよち歩きを始め。第20世代では、完全に人と同じ歩き方をするのである。同社では、その開発手法を人間全体の動きをプログラムする形に発展させている。仕上がっているコンピューター内の人型モデルの動きは驚くべきものだ。人間同士が衝突したり、崖から落ちたりする極めて複雑な場面に対して、人間と同じように受身を取り、起き上がるのだ。

 それは、ロジックの初期値を与えた開発者の予想を超える成果であり、何より衝撃的なのは、開発者自身が構築されたプログラムの中身を理解できないと発言するのである。アルゴリズムの初期条件やルールは人間が設定したものだが、その結果は初期条件を設定した人間の予想と能力を凌駕していくのである。

 遺伝的アルゴリズムとは、コンピューター上で、プログラムやパラメーターの進化を繰り返すことで、人間が考えるよりも早く、より優れた解に辿り着くことを目指す開発手法である。主にエンジニアリングの世界でその威力が発揮されており、身近な例では、新幹線N700系の先頭車両形状の開発に用いられたことが有名である。

このアルゴリズムにおける重要な要素は、
1.評価 (評価関数を用いて、選択・淘汰を行う前の良し悪しを判断する)
2.選択 (評価関数の結果を基に、次世代に引き継ぐ個体を選ぶ)
3.交叉、遺伝、突然変異 (次世代を作るためのロジック)
の3つである。基本的には、自然界におけるルールを再現することを目指したものだ。

 このアルゴリズムの要素を見た時、リーダー育成における検討要素とほぼ重なることに気づく。筆者は、一般に科学的なバックボーンを持ちにくい同テーマにとって、この研究から得られる成果や留意点から、多くを学び取れるのではないかと感じた。

 遺伝的アルゴリズムの活用における典型的な落とし穴としては、以下の3つが挙げられるようだ。

「落とし穴(1)」 評価関数が目的に対して不適切な内容である場合、どんなに世代交代を繰り返したとしても、最適解には永遠に近づかない。
「落とし穴(2)」 評価後の選択において、厳格に選択してしまうと個体の多様性が失われ、不十分な解で収束してしまう。逆に、甘い選択だと最適解に近づけない。
「落とし穴(3)」 優れたモデル同士の効果的な交叉による新たな個体の創造ロジックがなければ、モデルの進化が起こらない。

 この点をリーダー育成の議論に当てはめると次のような内容になるだろう。

[1] リーダー候補人材に対する評価の問題
 リーダー人材の評価において、何らかの客観性を求めすぎて、より深いレベルで見なければ判断できないものを見過ごしている。または、その評価の仕組み自体が会社として真剣に議論されていない。
 結果として、選ばれた人材群を見たときに、真のリーダー候補が漏れているのではないかという懸念が残る。

[2] リーダー人材選抜の適切さ、候補者の多様性維持の問題
 最初の選抜基準で選ばれた人材を中心にその後の育成を行っている。また、その人材群への淘汰が機能していない、更には、その後に急成長した人材や尖った人材を含めることができるプロセスが漏れている。
 結果として、似たような人材の集まりになってしまい、面白みがない(経営の直感的な不足感)という懸念が残る。

[3] 交叉、突然変異という創造を行うためのプロセスの欠如もしくは不足の問題
 人材に変異を起こすための挑戦的な機会の付与や、経験の交叉を意識したローテーションが、事業側の事情で遅れている。
 結果として、リーダー人材育成を行ってはいるものの、従来と違った成長が促進されていないように感じられてしまう。

 ここで挙げた例は、多くの会社のリーダー育成プログラムの検討において、よく聞かれる話である。

 更に、もう一つ、遺伝的アルゴリズムにおける落とし穴を紹介したい。それは、

 「落とし穴(4)」 このアルゴリズムはカオス理論の一部であり、"初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。そしてそれは予測不可能"だという性質を持っている点

である。

 カオス理論のこの特徴は、バタフライ効果(「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起きる」)と言う言葉で詩的に表現されたりする。遺伝的アルゴリズム自体、そのロジックの外形を導入しさえすれば必ず最適解に行き着くわけではないのだ。解が拡散してしまう可能性もあるし、不十分な状態で解が収束してしまう可能性もある体系なのだ。アルゴリズムの優秀性は実証において証明されているが、その果実を得るために構築すべきロジックは繊細なものなのだ。

 遺伝的アルゴリズムにおけるこの第4の落とし穴は、エンジニアの世界では、最適解への到達を目指す上での重要な留意点となっている。先に示した3つの要素の内、一つでも適切に設定されていなければ、開発はやり直しになる。実際、コンピューターを活用した開発においては、シミュレーションを繰り返す中で、"初期条件の最適解"を求める作業も同時に行うことになる。そして、それこそがこの開発における肝とも言えるのである。

 これは、「[4] リーダー育成プログラムにおける初期条件の適切さの問題」と言い換えられるであろう。

 リーダー育成に関し、長い歴史と伝統を持つ会社が安定した成果を挙げていることや、このアルゴリズムの組み込みを強く意識していない研修を中心としたプログラムが成果を挙げられないことの、科学的背景を、この学びに求められると筆者は考える。

 筆者が関与した100年を超える伝統を持つある会社では、経営会議において「自責」という言葉と概念を自社の価値基準に新たに含めるべきではないかという議論が真剣に行われていたことがあった。当時は、面白いアジェンダを真剣に議論するものだと不思議に思っていたが、実はこのプロセスこそが重要なのではないかと気付かされる。強いリーダーを再生産し、長い歴史の荒波を乗り越えてきた会社は、創業者の理念や精神が企業価値としての普遍性を持っていた(初期条件の質が高い)ことに始まり、リーダー育成というアジェンダについて、経営が常に真剣に議論し続け、条件の質を高めることに心を砕き続けてきた会社なのではないだろうか。

 リーダー育成プログラムにおいて、遺伝的アルゴリズムが持つ効果を得るためには、"しっかりとした初期条件に基づく進化プロセスの加速"が不可欠である。一方で、遺伝的アルゴリズムを内包するアプローチを取る場合、"初期値や初期条件が結果に大きな影響を与えるアルゴリズム"だということに意識を払わなくてはならない。

 しかし、実際には、多くの会社で、先の3つの条件について、よく議論の俎上には上るものの、十分な緊張感と切迫感をもって検討・判断されていないのが実態ではないだろうか。「まずは、これで実施してみる」「問題があれば適宜修正を行う」「マネジメント判断である以上、止むを得ない」という、社内的な制約条件に対し、常に諦め感を持ちつつ、プログラムを推進してはいないだろうか。これは、遺伝的アルゴリズムの4番目の落とし穴を考えたとき、実は、最も危険な意思決定になりうるのだ。

 リーダー育成プログラムの成否を分けているポイントが、このアルゴリズムの活用の有無、その精度の高さ、そのアルゴリズムを運用しきることへの真摯な取り組みにあるのではないかと、もし、皆様も同様に感じられたのならば、現在のプログラムに対して課題として認識している点が、そもそも、論点として正しいのか、それは真剣に議論を重ねるべきポイントなのかという問いかけから、今一度、考えてみる価値はあると筆者は考える。
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