働く人全員がキャリアアップや自己実現を追い求めているわけではない。上司から指示された仕事、必要最低限の仕事をひたすらこなすのみという働き方も見られる。自分にとって重要なのは、仕事ではない。軸足はワークライフスタイルに置いているという人々である。実は、こうした働き方が「静かな退職」と呼ばれ、注目を集めている。そこで今回は、日本において「静かな退職」が増えている原因や企業にとってのデメリット、取り得る対策を考察していきたい。
日本における「静かな退職」の原因とは? 企業のデメリットやエンゲージメント向上のための対策を解説

「静かな退職」とは

まずは、「静かな退職」の定義や現状を解説しよう。「静かな退職」とは、従業員がキャリアアップを目指したり、仕事のやりがいを求めたりせずに、淡々と必要最低限の仕事しかしない働き方を言う。会社を退職しないが、精神的には「退職」のような状態となる。英語では「Quiet Quitting」と表記され、頑張り過ぎない働き方と称されるケースもある。

もともと、米国では仕事に常に一生懸命取り組む「ハッスルカルチャー(Hustle Culture)」が働き方の基本とされてきた。しかし、近年米国のキャリアコーチであるブライアン・クリーリー氏がSNSを通じて、そうした働き方に再考を促した。その際に、使われていたフレーズが、「静かな退職(Quiet Quitting)」であったと言う。以来、この概念はワークライフバランスに重きを置くZ世代を中心に世界へと広がっている。

注意しなければいけないのは、「静かな退職」を怠惰や業務放棄と位置づけないことだ。本人は職場に対して特出した不満はない。といって、熱意も持っていない。あくまでも、自身の仕事とプライベートのバランスを図るために、自ら職務範囲に区切りをつけていると考えることができる。本人からすれば、自身の健康と生活の質を守るための割り切った行動と言って良いだろう。

●「静かな退職」の現状

米国の調査会社であるギャラップ社がビジネスパーソンを対象として行った調査の結果によると、米国において「静かな退職」に共感する働き手は現在約50%を占めており、しかも2020年以降、毎年ほぼ2%のペースで増加傾向にあると言う。日本ではコロナ禍を機に、リモートワークやテレワークが一気に定着するなど、働き方が柔軟になってきている。仕事に対する価値観も変わってきているだけに、「静かな退職」という働き方を志向する人が増加していくのではと見込まれている。

実は、少し古いデータになるが、ギャラップ社が2017年に世界各国の企業を対象として行ったエンゲージメント調査の結果を見ると、日本企業で「やる気のない従業員」が70%にものぼった。米国などと比較しても、かなり多いと言える。以前から日本では「静かな退職」につながりかねない土壌があったようだ。

●「静かな退職」に関連するトレンドワード

「静かな退職」は比較的新しい概念であるが、実は関連するワードが次々と生まれている。併せて、紹介しておこう。

・「不機嫌な在職」とは
「不機嫌な在職」とは、仕事に対する不満を我慢するのではなく、むしろ如実に表しながら職場に留まり続ける行為を言う。英語では、「Grumpy staying」と表記する。不満の理由は、従業員によって異なる。最も問題なのは、この行為が他の従業員にも伝播する可能性があることだ。

・「静かなやりがい」とは
「静かなやりがい」とは、英語で「Quiet thriving」と表現する。この言葉を言い出したのは、心理療法士でジャーナリストでもあるレスリー・オルダーマンである。厳しい局面を乗り切るために自分の仕事にさまざまな変化を取り入れながら、喜びを見出していくことを意味する。

「静かな退職」が起こる背景や原因

次に、日本においても「静かな退職」が起こりつつある背景と原因を掘り下げてみたい。

●働き方の多様化の影響

「静かな退職」に影響を与えている大きな原因として、働き方の多様化や変化が見逃せない。今や従来のようにフルタイムの働き方だけではない。フレックスタイムやリモートワークはもちろん、最近では副業という選択肢も出てきている。これによって、従業員は自分に合った働き方を選択しやすくなった。だが、メリットだけではない。働き方がフレキシブルになった分、組織とのつながりが薄れ、帰属意識も下がってしまっている。その結果として、「静かな退職」が広がってきていることも否定できない。

●ワークライフバランスを重視する価値観の普及

近年、働き方改革やウェルビーイングを意識した取り組みが加速する中、働き方や仕事に対する考え方にも変化が生まれてきている。仕事ばかりに目を向けるのではなく、家族や友人との関係や趣味などのプライベートも充実させたいという労働者が増えている。一方、社会全体で働き方改革が叫ばれていることもあって、多くの会社がワークライフバランスを重視する姿勢を打ち出している。こうした流れもあって、仕事に軸足を置かない「静かな退職」に賛同する人が増えていると思われる。

●ロールモデルの不在

働き方が変わりゆく中、自分にとって手本となるロールモデルが見つかりにくくなっているのも、「静かな退職」が広がる一つの要因と言える。目指すべき存在が見つからず、モチベーションも高まらない。ただ一日一日を漫然と過ごすことだけになってしまう。当然ながら、仕事にモチベーションを感じることはないと言って良いだろう。

●職務範囲・責任の所在の曖昧さ

海外の企業ではジョブ型雇用が多く、業務範囲や責任を明確にする傾向が顕著だ。一方、日本企業は、業務範囲が明確に線引きされているわけではない。曖昧なことが多かったと言え、阿吽の呼吸を大事に皆で頑張ろうという雰囲気であった。当然、責任の所在もわかりにくい。だた、誰かがやらなければいけないのは明白であるだけに、最終的には上長や仕事ができる人にしわ寄せが来てしまうケースが多かったのは事実だ。そのように責任を押し付けられる様子を何度も見聞きしてしまうと、キャリアアップを希望する若手従業員が少なくなるのは当たり前となる。昇進・昇格しても苦労するだけであるならば、自分の仕事だけを淡々とこなすだけの方が楽だと考えてしまうわけだ。

●不明確な評価基準

評価基準が明確かどうかも、仕事に対するモチベーションに大きな影響をもたらす。頑張って成果を上げたとしても、評価に反映されなかったとなると意欲が下がるのは当然である。特に日本では、年功序列による評価システムを残している企業がまだまだ多く、不公平感や不満の温床となりやすい。若手従業員からすると、「どうせ評価につながらないのであれば、無理に頑張る必要もない。最低レベルの仕事だけしておこう」と考えがちだ。

「静かな退職」のデメリット

続いて、「静かな退職」がどのようなデメリットをもたらすのかを考察してみたい。

●生産性の低下

箱のなかの果物の一つか二つだけでも腐っていると、瞬く間に箱全体の果物が腐っていくという話がある。組織も同様である。従業員の1人でも、「静かな退職」を選択するとその影響が組織全体の士気に影響を及ぼし、生産性の低下は避けられないだろう。社内全体がコミュニケーションを取ろうという気持ちになれず、新たなアイデアも生まれないと言って良い。

●業務量の偏り・職場環境の悪化

「静かな退職」を選択してしまうと、自分で決めた範囲の業務しかやらなくなる。これまでであれば、範囲がグレーの業務もカバーされていたかもしれないが、場合によってはそこがエアポケットになり得る可能性がある。また、イレギュラーなことや何らかのトラブルが発生しても、「それは私の業務範囲ではない」と見て見ぬふりをしてしまえば、特定の人に負担を掛けてしまう。結果的に対応が遅れることで、想定以上のダメージを組織が負うこともあり得るだろう。

また、職場環境の悪化も懸念される。必要最小限の仕事をこなすだけだと、会議やブレーンストーミングへの参加も億劫になるはずだ。チームに貢献すると言う意識も薄れてしまうことであろう。

●人材の流出

そもそも、「静かな退職」を引き起こす会社には何かしらの問題があると思われる。「静かな退職」を選択した人は退職しないので問題が顕在化しにくいかもしれないが、そのまま放置していたら、それこそ優秀な人材、モチベーションの高い人材が退職してしまう可能性もあり得る。人材の流出は、絶対に避けなければいけない。

「静かな退職」の対策

会社としても「静かな退職」を黙って見ているわけにはいかない。最後に、有効な施策をいくつか紹介しよう。

●「エンゲージメントサーベイ」を行う

従業員に「静かな退職」の兆候があるかどうかをチェックするために、エンゲージメントサーベイを行うのも良い方法だ。サーベイのデータを分析することで、従業員の仕事満足度や意識の移り変わり、組織のパフォーマンスに対する影響などを把握できる。それらを踏まえて、必要な改善施策を打ち出し、その効果を検証するようにしたい。

●職場環境を改善する

職場環境の改善、見直しもぜひとも検討してみたい。「業務時間を短縮する」、「リモートワークを週に数日はOKとする」、「フレックス制度を導入する」など、施策はいくつか考えられる。場合によっては、トライアルや期間限定での導入からスタートするのも良いだろう。その結果を検証し、従業員のモチベーションアップにつながることがわかったら本格的に導入するというのも一案だ。

●職務範囲と評価基準を明確にする

働きがいを実感できる仕組みを作りあげるためにも、職務範囲と評価基準の明確化にも取り組んでいく必要がある。自分の職務範囲がわかると、現状ではどこまでできているのかが自分でも判断できる。逆に言えば、まだできていないことをやり切るためにはどうすれば良いかと見通しを立てて行動できる。また、評価基準も年功序列をいつまでも踏襲するのではなく、これを機に公平かつ透明性の高い評価制度へと切り替えてみのもいいだろう。やりがいを得られれば、自ずとモチベーションも高まるはずだ。

●多様なキャリアパスを設ける

柔軟な働き方、多様な働き方がますます求められているだけに、マネジメントコースやスペシャリストコースに捉われず、さまざまなキャリアを選択できるようにすることも重要だ。さらには、従業員が目指すキャリアデザインを実現できるよう必要なスキルを習得できる機会を積極的に提供したり、面談の場を定期的に設けたりすることも考えるべきである。
世代が変われば考え方も違う。企業の人事担当者としても、一つの価値観だけを基軸に置くわけにはいかなくなっている。ただ、新しい概念を柔軟に受け入れていくしかないと思っても、どこか腹落ちできない人もいるのではないだろうか。恐らく、現場も同様であろう。「静かな退職」的な働き方を選択する若手社員を、上司やミドル以上の先輩社員は「甘えている」「仕事をサボっている」と完全否定しないとも限らない。しかし、ここで対立を起こすのは好ましくない。いかに組織として受け入れていくか。どう、より良い組織作りに結び付けていくか。多様な価値観をただ受け入れるのではなく、会社が目指すゴールを達成していくための本質的な組織に向けて、本記事で紹介した「静かな退職」の対策も一つの参考にしてみてはいかがだろうか。
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