先月まで2回にわたって、【企業も従業員も知っておくべき「うつ病」の実像」】と題して、軽症うつ病が作られていることや企業・従業員のとるべき対策を述べた。その中で、【誰しも「うつ症状」に陥ることは人間であれば自然なことである。心身の不調は、故日野原先生ではないが、生活習慣の乱れによるところが大きい。とりわけ、睡眠には気を使うべきだ。一定の睡眠時間や就寝・起床といった睡眠相を改善することで「うつ症状」の多くは軽減されるだろう。】と述べたが、睡眠は思っている以上に大切だ。今回は、この睡眠・睡眠導入剤を巡る実相をお伝えしよう。
睡眠と睡眠導入剤を理解しよう!

睡眠は人間に必要不可欠

睡眠が人間あるいは動物に必要欠くべからざる生理現象であることは衆目の一致するところだろう。ペットを飼っている人からは、「うちの犬は人間みたいな眠り方ではないんだけど」というような声が聞こえそうだが、睡眠医学では人間のような睡眠相のことを「単相性睡眠」、犬猫のような眠り方を「多相性睡眠」と言うらしい。ただ、どちらも24時間周期の覚醒・睡眠リズムを維持しながら生きている事実に変わりはなく、睡眠はやはり不可欠なのだ。

そもそも、睡眠はなぜ必要なのだろうか?これには過去幾多の実験が行われている。例えば、ラットを使った強制的覚醒、つまり睡眠をとらせない実験では、不眠を3週間も続ければ100%の確率で死に至ったそうだ。「敗血症性ショック」といって、免疫力が低下することによる臓器不全が原因であったらしい。裏を返せば、睡眠は免疫機能を高める効果があるということだ。さらに、睡眠には記憶力の強化、エネルギー恒常性の維持、健康な精神機能の維持、など多くの効果が認められている。前回までのコラムで、うつ病と睡眠の関係に若干触れたが、やはり十分な睡眠をとらなければ、正常な精神状態は維持できない。うつ病とのかかわりで言えば、「睡眠不足だとうつ病になりやすく、うつ病になると睡眠障害が出る」と言えるのではないだろうか。

不眠に出される睡眠導入剤

日本では、睡眠に悩む人が5人に1人はいると言われている。一方で、睡眠障害の専門家は意外と少ない。仮に、内科を受診し不眠を訴えた場合、多くのケースで「それでは睡眠導入剤を出しておきましょう」となるだろう。つまり、それは疾患としての「不眠症であるのか」「治療が必要なのか」といった適正な診断が下されないことを物語っている。疾患としての「不眠症」、つまり治療・薬物投与の対象であるか否かは、「週3回以上、日中の活動に支障を来すような不眠が3カ月以上継続しているかどうか」によって判断されるのが一般的である。

安易に処方され投与された睡眠導入剤は、最初はよく効き、気持ちがよくなるから、患者も喜ぶ。現在最も処方されているのは、ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤である。それらは中枢神経に作用し脳全体の機能を麻痺させるから、気持ちがよくなるのは当然と言えば当然である。本来は慎重に処方すべき薬剤であるが、患者が所望することで医師の責務は免責されているとも言えよう。

「不眠症」やそれに近い症状を呈する人たちへの治療のプライオリティは、薬剤を使用することではない。まずは「就寝前にカフェインを摂らない」「定刻の就寝・起床」「寝室・寝具の快適性」といった「睡眠衛生」を整えることである。それでも良くならなければ、認知行動療法を行う必要性も出てくる。最後の手段が、出口を見据えた薬物療法にほかならない。

睡眠導入剤の服用は慎重に

こうして、多くの人たちが安易に睡眠導入剤を服用しているわけだが、睡眠導入剤についてどれだけの人が正確な見識をお持ちだろうか。

前述のとおり、現在最も処方されているのはベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤である。医学部生は「非常に良い薬で安全性も高い」と教育されてきたようだ。確かに、これを大量に服用しても死に至ることはないと言われている。いずれも、脳の抑制系神経にあるGABA受容体の働きを増強させることで眠りに導き、その薬効が内因性のGABA受容体に依存しているので、一定ラインで薬効は進まない。従って、昔から使われ「睡眠薬自殺」の代名詞でもあるバルビツール酸系の歯止めのきかない強力な睡眠薬と比較すれば安全性は担保されてはいる。しかしながら、この睡眠導入剤を服用した眠りは自然な眠りではなく、脳の機能低下による眠りだと言われている。服用したことはないので実感はないが、飲んだらはっきりと眠くなり、独特の酩酊感があるそうだ。麻酔やアルコールに近い感覚かも知れない。また、薬剤の常で、効果の低減期には半減期の異なる薬をダブル処方されることもよくあるらしい。オーバードーズ(過量服薬)状態になれば、せん妄・睡眠中の異常行動・記憶喪失などの副作用が出ることも確認されている。現時点において、この睡眠導入剤が危険だとは言い切れないが、2014年からは3種類以上の睡眠薬を処方することは原則として禁止されている。

ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤は、「耐性や依存性」「昼間の眠気」「ふらつき・転倒」「もうろう状態」「反跳性不眠」などの副作用が起こることも良く知られている。「反跳性不眠」とは、服用をやめると、睡眠導入剤を飲む前よりも不眠がひどくなってしまうことである。精神的な不安からそうなるだけでなく、脳の状態が悪化してしまうことも原因だと指摘されている。さらには、未だ解明されたわけではないが、「認知機能の低下」「アルツハイマー型認知症の誘発」「うつ病の誘発」などの副作用も指摘されつつある。アメリカでは、すでにこの睡眠導入剤へのバッシングが強まっており、できるだけ使わない方へと舵が切られている。

睡眠導入剤を脱して自然な睡眠を

近年、相次いで「メラトニン受容体作動薬」「オレキシン受容体拮抗薬」という新しい睡眠導入剤が登場している。いずれも、ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系睡眠導入剤の欠点を改善したもので、安全性も高められてはいるだろう。しかしながら、厚生労働省も睡眠薬に関するガイドライン「出口を見据えた不眠医療マニュアル」を出しているように、睡眠薬なしで眠ることを推奨している。従業員が睡眠薬を服用していることは、企業にとっても潜在的なリスクを抱えていることと同義である。まずは、従業員個人がしっかりと睡眠薬のリスクを理解し、減薬・断薬への強い意志を持つことが必要である。一方、企業においても、睡眠薬なしでの睡眠が重要であることを社員研修などを通じて啓発していかなければならない。自然な眠りというのは、知らず知らずのうちに訪れるものである。睡眠導入剤による異常な眠気こそ異常であることを肝に銘じておこう。
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