Vol.10

「NEXT HR」キーパーソン特別インタビュー

僕たちが世界一周の旅に出た理由と「ONE JAPAN」を立ち上げた原動力
企業と人の新たな関係性と“つながる力”【前編】

ONE JAPAN 共同発起人・共同代表 濱松誠氏
インタビューアー:ProFuture代表/HR総研所長 寺澤康介

パナソニックの若手有志団体「One Panasonic」および、約50の大企業の若手・中堅社員を中心とした企業内有志団体が集う実践コミュニティ「ONE JAPAN」の発起人である濱松誠氏は、2018年、12年間務めたパナソニックを辞め、妻と二人で世界一周の旅に出た。彼らはなぜ旅立ったのか、そして旅を通じて何を感じ、何を得たのか。「One Panasonic」、「ONE JAPAN」の立ち上げ経緯や活動内容と合わせて、ロングインタビューを行った。今回はその前編をお届けする。

世界一周の旅、そこから得たものとは

寺澤世界一周の旅を無事終えられたということで、まずはおかえりなさい。ご夫婦ともに会社を辞められたうえで旅立たれたそうですが、まずはそこに至るまでの経緯についてお聞かせいただけないでしょうか?

濱松そもそもの始まりは12年前にさかのぼります。妻は昔から世界一周の旅をすることを夢見ていたのですが、日本テレビに入社し、報道記者になったのを機にそんな夢を封印していました。しかしそんな中、2008年にステージ3の乳がんを発症してしまったのです。一年ももたないと宣告され、目の前が真っ暗になっていた彼女は、病床でふと「死ぬまでにやりたかった5つのこと」を思い浮かべました。結婚、出産、親孝行、自分にしかできない仕事、そして世界一周の旅。がんが完治する目安は10年なので、もし10年後も元気で生きていられたら、残りの人生はボーナスみたいなものだから、会社を辞めて世界一周の旅に出ようと誓ったそうです。
その10年の間に僕らは出会い、結婚します。彼女は僕にも「世界を一周したい」と話してくれ、面白そうだなと感じていたのですが、お互い仕事も楽しく多忙な身だったこともあり、いつの間にか彼女の心から夢は消えかかっていました。でも僕は彼女の夢を叶えたかった。そこで2018年のある日、僕のほうから「世界一周の旅に出よう」と提案したんです。しかも1カ月休暇を取ってとかではなく、二人揃って会社を辞めて、一年かけて心ゆくまで世界を見て回ろうと。突然の提案に、最初は妻も驚いていましたね。

寺澤長期休暇という選択肢もあったと思いますが、あえて会社を辞めたと。思い切った決断でしたね。

濱松僕が今回世界一周の旅に出ることを決めた一番の理由は、遅かれ早かれ人はどうせ死ぬのだから、最も大切な人と後悔のない人生を生きたい、そう思ったからなんです。もし1年後に死ぬことになったとしても、今回の決断が正しかったと思えるから。そして、パナソニックを辞めても、将来出戻りの可能性もあるかもしれない。有志の会「One Panasonic」も優秀なメンバーが育ってきました。ONE JAPANについては、僕は大企業を一旦辞めることになるけれど、国やセクターを超えて“知”と“知”を結びつけることで、よりインパクトのある動きができるのではないかと考えました。

寺澤残念ながら旅の途中で新型コロナウイルス騒動が起こって、予定より少し早く帰国することになったそうですね。

濱松アメリカで感染が拡大していた当時、ちょうど僕たちはニューヨークにいたのですが、さすがにつらかったですね。本当にゴーストタウンのような状況で、街の治安も悪くなるのを感じました。「もうちょっとだったのに」と悔しくて2人で泣きました。でも、もっとつらい立場の人たちもたくさんいる。自分たちはこうして1年近くにわたって幸せに旅ができているんだから、感謝しないといけないと気持ちを切り替えるようにしました。

寺澤実際に世界各地を回られてみて、いかがでしたか? また今回の旅を通じて、生き方や考え方、働き方などに何か影響はございましたか?

濱松僕たちは5大陸、52カ国、116都市を回ったのですが、とにかく最高でした。地球人として生まれてきたのに、世界にはまだ知らないことがたくさんある。アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中南米、それぞれの地域で、こんな場所があるんだ、こんな人がいるんだ、こんな生き方があるんだ、こんな考え方があるんだ、と見るものすべてが学びになりました。いろんな生き方があって、自分もいろんな生き方をしていいんだって。そうならないように意識していたつもりでしたが、これまでは自分で勝手に枠を決めていたと思うんです。でも世界中を旅して、見聞を広めていったことで、枠になんかとらわれなくてもいい、どんな生き方も正解・不正解なんてないんだと思うようになりました。

寺澤まさに企業と働く人の関係性にも通じることだと思います。つまり多様な働き方があって、そこに正解や不正解なんてない、決まった枠組みなんてないということですよね。

濱松おっしゃる通りです。世界中の人の数だけ、働く人の数だけ、選択肢は無数にあるわけで、働き方なんて自由なんだと。この考え方は僕自身、仮説としてずっと持ち続けてきたものですが、今回世界に出てみて、改めて確信しました。そういう意味でも企業には、いろんな選択肢を用意してもらって、いろんな働き方を柔軟に許容してもらいたいと思いますね。

ONE JAPAN 共同発起人・共同代表
濱松 誠 氏

1982年京都生まれ。2006年パナソニックに入社。海外マーケティング、人材・組織開発、そしてベンチャー出向等を経て、2018年の末、パナソニックを退職。2012年、本業の傍ら、組織活性化をねらいとした有志の会「One Panasonic」を立ち上げる。その後、志を同じくする仲間たちと出会い、2016年「ONE JAPAN」を設立、代表に就任。現時点で54社・1500名が参画。共創、人材育成、土壌づくり、意識調査等に取り組む。日経ビジネス「2017年 次代を創る100人」に選出。2019年、夫婦の夢だった世界一周を実現。現在は企業のアドバイザーなどをしながら、起業準備中。