増田 不三雄 著
双葉新書 840円
社内失業 企業に捨てられた正社員
増田 不三雄 著
双葉新書 840円
「社内失業」という問題は、これまであまり論じられてこなかったが、日本企業にとってきわめて重大な課題だと思う。採用にも教育にも関係するこの課題を、本書は真正面から取り上げている。
 特色は豊富な取材量だ。30名もの社内失業者にインタビューしており、彼、彼女が社内失業したのかの背景、経緯を知ることができる。
 人事や労働に関する本は、厚生労働省や文部科学省のデータを使うことが多く、正確かもしれないが、退屈だ。本書は30近い「物語」として、社内失業を知ることができる。本書を読んでの感想だが、社内失業が生まれる原因は、世間で考えられているような本人の「やる気」だけでなく、どうやら社内の人間関係や教育環境にありそうだ。本書の後半には社内失業に対する対策も述べられている。

 本書の前提は「平成21年度 経済財政白書」で発表された「雇用保蔵の推計」だ。「雇用保蔵」は聞き慣れない言葉だ。以前から存在する言葉のようだが、一般に知られるようになったのは「平成21年度 経済財政白書」で使われてからだ。雇用保蔵の意味を白書は「最適な雇用者数と実際の常用雇用者数との差」と定義している。つまり過剰人員のことだ。
 白書の「雇用保蔵の推計」によれば、2005年から2007年まで雇用保蔵数はほぼゼロだった。ところが2008年9月のリーマンショック以降に急激な景気後退が起こり、人が余った。白書は「2009年1-3月期で全産業607万人(ケース1)又は528万人(ケース2)」と書いている。
 全産業で「607万人」と「528万人」という2つの数字が出てくる理由は、他の労働生産関連データからの推計値だからだ。
 現在も600万人という水準にあるのかどうかははっきりしない。景気が良くなれば、雇用保蔵数は減る。今年の東日本大震災まで景気は回復傾向にあったと思う。しかし現在の景気は落ち込んでいるから、企業はかなり多くの過剰人員を抱えたままではないだろうか?
 本書は「雇用保蔵」「過剰人員」を「社内失業」という言葉に置き換えて、問題をよりリアルに描いている。

 使われることは少なくなったが「窓際族」という言葉は今でも生きている。1978年の新語・流行語大賞のひとつに選ばれており、80年代から90年代はじめまでよく使われていた。「社内失業」と聞くと「窓際族と同じようなものか」と短絡的に考えている人も多いだろう。しかし違うのだ。
 窓際族は、高度成長期に採用された中高年サラリーマン。部下も仕事も与えられず、デスクを窓際に移動させられ、新聞を読み窓の外を眺めながら毎日の時間をつぶす、出世ラインからはずされたサラリーマンだ。
 とはいっても年功序列賃金が生きていた時代のサラリーマンだから、給与、退職金、そして年金も高い。社内では出世競争に負けたかもしれないが、世間の相場から見れば恵まれていた人が多い。
 社内失業者はまったく違う。手取り月収17、8万円と低く、昇給もほとんど望めない。仕事が与えられないから、スキルが得られず、転職もままならない。そういうきつい環境に置かれた20代、30代前半の若者が社内失業者だ。

 こういう若者を「フリーライダー」「社内ニート」と呼び、「月給泥棒」と詰る風潮がある。しかし彼らは、仕事もないまま誰からも振り向かれず過ごす毎日に満足しているわけではない。そんな状態は監獄の中にいるようなものだろう。かれらは望んで監獄に入ったのか?
 違う。本書に登場する人物はだれもが意欲を持っている。その意欲が社内失業状態の中で蝕まれていくのだ。
 著者は、使えない社員になってしまった原因を5つ挙げている。5つの変化は90年代、とくに後半から進行していた。そこにリーマンショックが起こり、企業全体の仕事量が減り、若手社員が大量に余った。仕事のない若手の教育を企業は現場に、現場は本人に押し付け、若手は放置された。
 IT化が進んだ職場では、若手が先輩の背中を見て育とうとしても、先輩の仕事はパソコンの中で完結しているので、真似るべき仕事の痕跡を見ることができない。現代の若手社員は放置されると成長できないのだ。だから戦略的な育成システムが必要なのだが、そうなっていないのが現状だ。

 本書は日本企業の問題点をたくさん指摘している。現代の日本企業が抱える組織の病根と言ってもいいかもしれない。企業人ならだれしも本書の指摘に納得するだろう。
 しかしその病根を断ちきれるかというと、残念ながらそんな企業は少ないのではないかと思う。
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