事業主に対するパワハラ防止措置が義務化され、2020年の1月にはパワハラ指針が公表された。ハラスメント対策に、いままで以上にリソースを割かなければならないという意識が、多くの企業で見受けられる。だがその中で、セクハラについては「もうわかっているから、研修でも少し触れるだけでいい」という考えになっていないだろうか。残念ながら、それはまだまだ早計である。その理由を見ていこう。
「セクハラ防止教育」を軽視してはいけない理由

基本的事項への理解が不十分

「必要もないのに、体に触れてはいけない」。日本で「セクハラ」という言葉が一般化してから30年が経ち、このような基本については、すでに理解がいきわたったと考える人が多い。

セクハラがなくなっていない以上、当然、セクハラ防止教育も継続していかなければいけないが、それ以前に、知識としてもそれほど理解がいきわたっているかどうかは、疑問である。とくに理解が不十分なのは、人権の一部である「自己決定権」という考え方だ。平たく言うと「自分の体にだれが触れていいか決めるのは、自分自身である」ということだ。

ここが理解されていないので、「部下(同僚)の女性とはよい人間関係があるのだから、励ましや、親しさを表す意味で体に触れても問題ない」と勘違いする男性が跡を絶たない。

「体に触れても問題ない」かどうかの判断するのは、その女性本人以外にはありえない。「セクハラだ」と指摘されたのは、本人の許可や合意なく体に触れ、その女性の自己決定権を侵害したということだ。触れた側に性的な意図があったかどうかは関係ないのだ。

また、このようにセクハラが被害者の感じ方を基礎としていることについて、「イケメンだったら(体に触れても)いいだろう」というのが、男性の本音としてよく語られている。しかし、だれが自分の体に触れていいかを判断するために、どんな基準を採用するかは、本人が決めることだ。たとえ顔の良し悪しを基準にしたとしても、他者に非難がましく言われる筋合いはない。

これを悪いことのように言うのは、そもそも、女性を意思のあるひとりの人間ではなく、誰に触られても黙って「されるがまま」になっているべき、つまり人形のようなモノとして考えている証拠である。

このような考え方自体が「おかしなことである」と理解されていないのでは、ハラスメント防止研修で「セクハラについてはさっとやっておけばよい」という状況には程遠い。

1回の加害行為で人生が変わる場合も

上述のように、被害者の人権が侵害されるという点からセクハラを許してはいけないのはもちろんだが、行為者にとっても、セクハラを行ってしまったことでその後の職業人生に大きな影響が出る場合も少なくない。

セクハラの場合は、たとえば、会社の飲み会の帰りに酔った勢いで女性に抱きついたり、むりやりキスをしたりといった、衝動的に行ってしまった一度きりの行為でも、降格や停職などの重い懲戒処分の対象になることがままある。

それに対して、パワハラの場合は、一度きりの行為で重い懲戒が課されることは珍しい。一定期間、なんらかの不適切な行為が繰り返し行われて、パワハラだと認定され、処分が下されるのが一般的だ。

そもそも、パワハラは、指導や叱責という業務が根底にあるケースが多く、懲戒を決定する会社としても、「そこを重く罰してよいのか」というためらいがある。一方、セクハラについては、業務とは関係がなく、「仕事熱心なあまり」という言い訳は使えない。会社としても「仕事ならともかく、こんなことで」という不快感をもつので、懲戒することにためらいがない。量刑も重くなりがちだ。

降格にともなって降給されれば経済的に打撃を受けることはもちろん、停職ということになれば、家族に隠しておくのは難しい。さらに、セクハラで懲戒され、それが家族にもわかってしまい家庭が崩壊、となると、職業生活だけではなく、人生そのものに甚大な影響がある。

また、セクハラにとどまらずハラスメント行為者は、「自分は会社に貢献しているのだから、会社がかばってくれるはず」と、軽く考えていることがある。しかし、現在の少子高齢化からくる構造的な人手不足の中では、既存の従業員(被害者)の退職に結びつき、人材確保に影響をおよぼすハラスメント行為について、会社の見方はかなり厳しくなっている。

「セクハラ防止教育」を社内で徹底するのは、行為者予備軍が行為におよんでしまい、自ら破滅するのを防ぐためという意味合いでもあるのだ。
李怜香(り れいか)
メンタルサポートろうむ 代表
社会保険労務士/ハラスメント防止コンサルタント/産業カウンセラー/健康経営エキスパートアドバイザー

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