「本質の一致 行動の自由」という言葉があります。
要は、細かいルールは作らず、本質的なところで志向があっていれば、人はその思う通りに自由に行動することで、組織の成果は上がる、ということだと思います。
  本質的なところが違う人に、その組織での自由は与えられません。自由に行動するということは、そこに組織の目的となっている成果をあげる責任を果たすということでしょう。
言い方を変えれば、「働く人たちを生かすには責任を持たせること」で、そうすれば、成果を出すようになる、ということです。

 「職場でも責任を持たない人に、自由(やりたいようにやれる権利)がないのは当たり前だ」という設問の回答傾向は、次のようになっています。

そう思う   77.3%
わからない  11.7%
そう思わない 11.0%


 この設問の「そう思う」という回答傾向は、72.6%(2001年)~79.5%(2012年)の間で特別な傾向もなく、上下動しています。
概ね、集団(職場)に所属するということは、そこで何らかの役割を得て、その責任を引き受けるということであり、その責任を果たせない人に、自由にできる余地はない、
というのは理解されていることであると思われます。

 平成21年に厚生労働省が行った「若年者雇用実態調査」によれば、大卒の離職理由の4番目(16.3%)に「ノルマや責任が重すぎた」というものが来ます(17項目の選択肢から3つ選ぶ)。
 もちろん、「労働時間・休日・休暇の条件がよくなかった(27.5%)」や「仕事が自分に合わない(24.3%)」(この二つは、入社前にわかっていなかったのが不思議)よりは低いのですが、どうも「甘え」を感じて仕方ありません。
「責任のある仕事を任されたかった」ので離職したという人は2.8%しかいません。

 新入社員は「責任ある仕事に就く」ということをどのように考えているのでしょうか?

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 厚生労働省の別の調査で「少子高齢社会等調査検討事業報告書(若者の意識調査編)」によれば、
「進んで与えられた以上の仕事をしたい」 26.7%
「積極的ではないが、必要があれば与えられた以上の仕事をする」 51.9%

と、積極的に仕事に取り組もうという意識は見えます。
おそらく、この数字も間違いではないと思います。責任のある仕事に就いて、バリバリ仕事をしたい層は、昔と変わらずいるのです。

 しかし、どうもそのようには感じられないことが多いのも事実です。
 先日、とある旅客運輸系企業の教育担当者から、「いきなり、退職願を出す新人が出た」ということを聞きました。
これは、近年珍しい話ではないと思うのですが、この会社では「とうとう、うちもそうなってきたか」という状況だったのです。他にも、「乗務員の指導期間が終ろうかという頃に、医者の診断書(適応障害)を持ってきた」ということもあったとか。
 お客様を乗せる車両を運転するわけですから、クレペリン検査など諸々のテストや検査をはじめ、肉体的、精神的な健康度の測定を経るなど、採用には慎重を期しており、さらには現場でも、事故を防ぐために小まめにフォローをしているのです。
「それにもかかわらず」そういう社員がいた、ということのようです。

 これらは、「仕事はしたい、責任も受けます」といいながら、メンタル面が弱いことが原因でおこっているのではないかと思っています。
 「叱られ慣れていない」、「失敗したことがない」、「競争することを避けてきた、競走から遠ざけられていた」という彼らの育った環境から来るものが強いように思います。

 新入社員のフォロー研修や新人向け営業研修の場面で耳にする「先輩や上司に質問ができない」、「お客様と世間話ができない」、「やるべきことをやっているのに叱られる」等の様々な発言の裏には、こういったメンタル面の弱さがあると思われます。
 このメンタル面の弱さは「人との摩擦を嫌う」傾向からくるものではないかと考えています。

 比喩的ではありますが、新入社員の育った環境はSNSのようなもので、そこでは「いいね!」ボタンはあっても、「やだね!」ボタンはほとんどの場合ありませんし、あっても押さないのです。そこでは、人に迎合することはできても、反対意見は簡単に表明できないし、表明しないのです。

 メンタルタフネスを維持しつつ、どう摩擦環境に慣れさせるか、初期教育の重要性がますます増してくることでしょう。
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