「自分の好きでない仕事を割り当てられたら、意欲を失うのは当然である」という設問の回答傾向は、以下の通りです。(2015年度のデータ)

そう思う   22.0%
わからない  13.6%
そう思わない 64.4%

 この回答傾向の変遷ですが、2001年に「そう思う」と答えた割合が28.4%もあり、「好きなことでないと意欲を失う」と考えていたと思われる割合は、本年よりも多かったのです。その後、2010年の17.2%まで減った後、20%前後を保ってきました。
 同様に、「そう思わない」という「嫌いな仕事でも意欲を持って取り組む」という割合も2001年が最低の55.2%、2010年まで徐々に増え続けて68.1%、その後減少に転じ、2015年度は64.4%となりました。

 このデータからすれば、2/3の新入社員は、「どんな仕事でも、まず意欲を持ってやる」という心構えはもっているようです。
   ただし、「まず、意欲を持ってやる」のですが、「ずっと、意欲を持ってやれるか?」というと、そうではないことが問題となります。
その「意欲をもってやれるかどうか?」の見極めは、割に早いので、それが転職率の高さにも影響しているのでしょう。いかに、意欲を持続させるかが課題となるわけです。
そこで、「やりがい」やその仕事に対する「思い」というものが重要、と考えがちですが、私はそうとは思いません。

 例えば、転職率の高いと言われている業種に飲食業やホテル等の接客系業種、介護・看護などの医療系業種や保育等があります。もともと、一定の資格を要する業種の場合、それなりの思いを持って就職しているはずです。ならば、自分の「好き」が仕事になっているので、定着率も高いはずなのに、現実はそうではありません。
もちろん、そこでも、10年、20年と同じ組織で働いている人もいます。
その思いを持続できる人が残っている、と考えることもできますが少なすぎます。
つまり、多くの人が、一定期間で転職していく確率が高いのは、「意欲依存」のためではないかと、私は思っています。
いわゆる、「やりがい搾取」の構造に似たものが、どこかにあるためではないかと思うのです。
   「やりがい搾取」とは、「やりがいや思いをもって、この業種に就職したんだから、あとは自助努力で頑張るのが当たり前」という意識が底辺にあり、その「やりがい」をあおることで、過剰な労働に駆り立てることだと理解しています。
「やりがい」が「報酬の一部」となり、正当な報酬を与えないということです。
(「やりがい搾取」に関しては、本田由紀「軋む社会」参照)

 業界の中でも、「やりがい搾取」をしている企業の方が、おそらく、何もしていない同業他社よりも、定着率ということでは高いのではないかと思います。
見かけ上、「やりがいがある」「自分のやりたいことをやっている」ことを強調し、感じられるような施策を打っているので、「給料の低さ」さえ我慢できれば、継続して働けるのです。
 大変な矛盾ですね。一生懸命な人が報われにくい構造にあるのです。

 結局のところ、「なんのために働くのか?」と言われれば、「やりがいを求める」ということもありますが、まずは生活のためでしょう。
生活が成り立たないような状況を感じれば、辞めていくのではないかと思います。
離職率の高い企業では、「将来に明るい見通しの立つ仕事かどうか?」ということが大事です。

 飲食業や販売業では、20代前半で店長になる人もいます。
10人、20人のパート・アルバイトを使う中間管理職と言ってもおかしくない存在になります。
しかし、そこから上の道は、あまりにも狭い。地域を束ねるマネージャーや開発担当等になれるのは、10人に一人程度とごく少数です。その会社の中での出世、賃金の上昇の機会が少ない、期待できないとなれば、どこかに転職、独立しようと考える人がいてもおかしくありません。
労働集約型産業で、わりに最近まで「個人事業主」「家族経営」でやっていた仕事を企業化しており、効率化・工業化しにくい業態にこのような職種は多いと思います。

 平均的、あるいはそこまで離職に問題を感じていない場合の問題はどうかというと、「ぶら下がっている社員を作らない」ということになります。「特段、やりがいを感じてなくても、まずは仕事はやる」のですが、それではいずれマンネリになります。
そのままだらだら、「言われたことをやってます」という程度の仕事ぶりでは、困るわけです。
やはり、将来展望や自分にとっての意味を描けるかどうかが課題となります。

 企業の側は、「自分の好きな仕事、自分に向いている仕事」と思える環境を作り、継続して働いていく意欲を持てるだけの報酬を用意できる構造にしていくこと。これが重要なのだと思います。
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