「6次の隔たり」という言葉をご存知だろうか。
人は自分の知り合いを6人以上介すと世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説である。意外と世界は小さいかもしれない。

 最近、SNSの発達により、この仮説は正しいと思わされる機会があった。正月実家に帰省した際に、父親がフェイスブックを始めたことを知った。父親は、ずっと国内に勤務をしていて海外の知り合いなどはいないはずだったが、フェイスブックを通じて香港に知り合いを作っていた。私自身は、フェイスブックを利用していないので詳しくは分からないが、一昔前では考えられなかった情報化が進んでいると感じた。
  集合研修を実施する時、よく人材交流を副次的な目的に挙げられる企業がある。ただ先述のような情報化が進んだ現在、あえて研修の場で集まらなくても、コミュニケーションを取る機会はたくさんある。実際、社内SNSやコミュニティサイトを設置されている企業も少なくない。教育という観点だけなら、eラーニングでも良いかもしれない。そういった声が多いことも事実である。

 しかし、と思うことがある。デジタルなコミュニケーションはどこか味気なくはないか。文字情報の羅列では、伝わらないこともある。コミュニケーションをテーマにした研修では、「相手理解」を取り扱うことがある。「相手理解」とは、5感全てを駆使して相手の価値観や仕事の背景を探ることである。文字情報からでは、行間を読んだとしても、得られる情報は限定的だ。

 eラーニングでは、答え合わせはできても、周囲がどのように取り組んだかを伺い知ることはできない。周囲の息づかいが分からないのだ。それは残念に思う。研修のモチベーションの1つは、他の人の考え・発言に触れて刺激を受けることにあるからだ。

 時代の流れによって、ビジネス環境は変わる。新たなツールを活用することは間違いなく重要である。ただそれを扱う人間が成長しないようでは、本末転倒である。一方で集合研修は、人の成長に出会う場面が少なくない。例えば、連続型の次世代リーダー育成研修ではこんなエピソードがあった。初回の研修で、周囲に水をあけられた受講生がいた。事後課題もいい結果では無かった。しかしその受講生は、研修に対してとても熱意を持っていた。疑問点を納得がいくまで何度も講師に聞いて、自分の糧にしていた。その結果、最終回では受講生を代表して経営者に向けてプレゼンテーションをしていた。このような場面に同席することは、とても感慨深いものがある。
 

 ちなみに、今年私宛には1通の年賀メールも来なかった。時代に取り残されないようにしたいと思う。それ以前の問題かもしれないが…
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