職業選択の自由は憲法にも記載してあるくらいの基本的な人権の一つです。この選択の自由の精神は雇用する側も雇用される側も原理原則として十分に理解しなくてはなりません。しかしいかなる場合でもこの自由が何の制約も受けないと考えるのも大きな問題です。特に多くの人が転職する時代において、この職業選択の自由には、様々な議論があります。
  例えば企業がリストラなどで人員削減をする場合などに、この問題は非常に深刻に認識されます。リストラなどで企業を退職して、他社に転職する人は、当然今までの職務経験を買ってくれる企業に入りやすいでしょう。全く畑違いの職務や業界に転職するリスクの方が大きいのは当然です。そうなると今まで経験してきた業務で転職するのですから、同じ業界や競合企業、取引先などへ転職するのが普通になります。しかしリストラする企業から見ると、顧客情報などの企業の営業上の秘密などは、他社に流れることは好みませんし、また実際に顧客を持っていくなどの行為をすれば損害賠償の対象になります。選択の自由とは言いながら実際には制約を受ける部分があるということです。希望退職などで通常の自己都合退職よりも優遇した条件で退職を認める場合などは、上乗せした優遇条件は競合企業に転職した場合には返却させるなどのような文言を入れるケースもあります。労働市場の発達により、この転職による企業の損害の発生なども起こりやすい環境になりつつあります。

  この選択の自由は働く側にとっては、全てを許される自由と認識しがちですが、実際には働く側も十分に注意しなければ大きなリスクを負うことになります。しかし最も重要であるのは働く側のマインドの常識性の問題かもしれません。多くの人が転職を前提とする社会は“期間の定めのなき雇用”と相入れません。企業側は終身雇用と思い雇用契約を合意せざるを得ませんが、働く側はそうは思っていないのが現実なのです。最近では“リセット的退職”のような、今までの雇用側の育成や処遇努力を、選択の自由という偏った認識のみで、全くリセットしてしまうような転職も増えています。すでに働く側の倫理や常識も大きく変化してきているのです。これは円滑な労働移動という観点である意味好ましいととらえるのか、逆に円滑すぎることにより企業の長期雇用意欲が低下してしまうととらえるか微妙です。このことは正社員雇用がすでに終身雇用であること自体が実体として合わなくなってきていることと同じです。企業側からみると選択の自由をことさら強調すること自体に大きな問題を感じざるを得ません。

  ブラック企業の発生は、このような雇用側と雇用される側の実体から発生したかもしれません。解雇権の自由なども視野に入れて雇用のあり方や考え方自体が見直されるタイミングにきているではないでしょうか。労働流動化時代における雇用責任とは何か、また働く側の倫理とは何かが問い直されているのではないでしょうか。
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