ドラッカーの著作を読んでいると、「努力」という言葉がよく出てくることに気が付きます。
「企業は真の意味でのチームを組織し、各成員の努力を融合し、ひとつの共同の努力とするような体制を築き上げなければならない」(現代の経営)
「イノベーションとは、明確な目的観とよく観察し、よく練られた分析と凡人の地道な努力の継続である」(マネジメント)
ドラッカーの経営思想のベースには、環境に身を任せたり、偶然を期待したりするという要素はないのだと思います。
目標を定め、その方向に成員の努力を振り向けさせることが必要であると説いているのです。
未来は自ら作るものであると伝えているのです。
しかし、私たちは、怠け者ですから、できることなら楽に仕事をしたい、と思ってしまいます。
努力よりも、運に身を任せて成功する方がどれくらいよいか、つい、夢見てしまます。
そして、売上の半分も配当しない宝くじを買ってしまったり、胴元しか儲からないことはわかっているギャンブルについつい手を出してしまうのです。
さて、社員意識調査の中で努力に関する設問はいくつかあるのですが、そのひとつに「上役の指示に従って地道な努力をするのは主体性のない行為である」というものがあります。
この回答は、次のようになっています。

そう思う   12.5%
わからない  14.2%
そう思わない 73.3%

この設問、「上役の指示に従う」という言葉を入れることで、判断がぶれるように設定されています。
つまり、地道な努力は必要だが、それは、指示を受けて受身で努力していてもいいのか、どうか、ということです。

上記のように、12.5%の人は、この設問に「そう思う」と答えてしまいます。
主体性とは、自分の思うとおりにすることだと考えるのでしょう。

そのため、この設問で「そう思う」と答える人たちは、成果、業績思考は高いといえます。
「企業では、百の知識より一つの成果の方が尊ばれるべきである」
「個々の人の努力や成績を無視して、生活必要経費を基準にボーナスを支払うことは誤りである」
という設問にも「そう思う」と答える率が高くなっています。

「上役の指示に従って地道な努力をするのは主体性のない行為である」という設問の回答は、次のようになっています。

そう思う   12.5%
わからない  14.2%
そう思わない 73.3%

企業の実態から言えば、仕事のほとんどは、「受身」です。
指示、命令されたことに対して一生懸命取り組むものです。
自由度は、その仕事で示された範囲の中にしかありません。
その範囲で主体性を発揮し、工夫してやり遂げるのが仕事というものだと思います。
信頼され、実績が上がってくると、徐々に自由度は増していきますが、それでも企業に属する限り、指示された範囲から逸脱することはできません。

流通業で「作と演」という言葉を使うことがあります。
本部が商品や店舗を用意し、売るためのストーリーを作り、店舗はそのストーリーに従って演じるという発想です。
実際、同じチェーンの店舗でも、商品の並べ方や従業員の活気は全く違う、ということを日常的に私たちは目にします。

全く同じマニュアル、本部からの指示で動いているにもかかわらず、その店の個性が出てくるのです。
演出家や俳優が変われば、同じ脚本でも全く違う舞台になるように、店舗の従業員は本部の作った舞台の上で「主体性」を発揮し、個性を活かし、工夫をして売るというわけです。
脚本で決まっているからと言って、そこには主体性発揮の余地がなくなるわけではありません。

むしろ、脚本や舞台があるからこそ、主体的に創造性が発揮できる、と考えるのが妥当だと思います。
脚本も舞台もなければ、おそらく様々な可能性を追求してしまい、無理な努力、無駄な努力をすることになります。

ここでいう脚本とは、方針、戦略、戦術に相当するということでしょう。
なので、演じる我々は、その方針、戦略、戦術をしっかり理解し、地道な努力で業績を達成しなければならないということです。
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