就職情報会社が介在する価値について、別の切り口から考えてみよう。就職情報会社は、社会を、働き方を変える力がある、はずだ。リクルートの創業者・江副浩正氏は1970年代前半、採用広告について次のように語っていた。語録より引用しよう。
2020年就職情報会社の旅(後編)

「求人広告は産業構造を変える」を振り返る

 これからの社会で求人広告の果たす役割は何か"の問題について、10の項目に整理してみたい。
 (1) 求人広告は働く人の労働条件を向上させる
 (2) 求人広告は産業構造を変える
 (3) 求人広告は採用コストを低減する
 (4) 求人広告は人と仕事とのよりよい結びつきを実現し、そのことによって人の生活を豊かにする
 (5) 求人広告は産業教育を受け持つ
 (6) 求人広告は働きたい者を増やす
 (7) 求人広告は企業間競争の有力な武器となる
 (8) 求人広告は社員のモラール(やる気)を上げる
 (9) 求人広告は企業の経営理念・社風を創る
 (10)求人広告は働く人に自由と安心を保障する

 70年代前半にこのようなことを構想していた江副浩正氏は稀有な経営者だったと感じる。
 この中で、個人的に特に印象的なのは、(2)「求人広告は産業構造を変える」だ。採用広告により人は動き、次の時代を担う業界と企業を発展させていく、可能性がある。そんな次世代の業界・企業に優秀な人材を送り込む。これもまた、就職情報会社の仕事である。
 もっとも、やや意地悪な見方をするならば、伸びている業界・企業からお金をもらおうという下心も見え隠れしている。また、求人広告の営業マンを鼓舞する社内向けメッセージと見ることができるだろう。さらに言ならば、「産業構造を変える」ことができたのかどうかにも疑問は残る。例えば、流通・飲食といったサービス産業が日本において伸びているのは明らかだが、では、求人広告を出したところで、これらの業界は人材の採用を簡単に行うことができるのか。言うまでもなく、求人倍率などを見ても、これらの業界が採用で困っていることは明らかだ。もちろん、就職情報会社だけがこの問題を解決するわけではないのだが。「求人広告は産業構造を変える」と言いつつ、成長している業界・企業からお金をとっただけとも言える。ちゃんと価値は提供できたのか。
 もっと、「求人広告は産業構造を変える」という志は否定したくない。この志は今の就職情報会社にあるだろうか。ここでも就職情報会社の介在する価値が問われると言えるだろう。

就職情報会社の営業担当者は劣化しているのか?

 さて、前回の冒頭でふれた「2020年の就職情報会社に営業担当者は必要か」という議論に戻ることにしよう。これもまた、議論はこじれがちだが、とはいえ直視し、考えてみよう。
 2020年の就職情報会社には営業担当者は存在するかどうか。存在しなくても成立するモデルは2014年の現在でも十分に可能だと思う。求人広告はフォーマット化されているので、審査の機能さえしっかりすれば、テンプレートを参考に、広告案を入稿。それに対して、フィードバックが返ってくる。商品の提案もウェブと電話で行われる。
 やはり冒頭でも触れたとおり、こう書くと、反対意見もあるだろう。いや、就職情報会社の営業担当者にはお世話になっている。彼らは良い提案をしてくれている、と。気持ちはわかる。ただ、それはどれくらい一般的なのだろうか。
 自分が採用担当者だった頃も、昨年の原稿が送られてきて赤入れしてFAXで入稿し、結構なお金を捉える大手A社、逆にイベントとセットにした値段を提案してくれて、丁寧な取材が売りなのにも関わらずできてくる原稿はそれなりの大手B社・・・。当時から介在する価値とは何だろうかと考えていた。
 ただ、ふと立ち止まって考えてみると、就職情報会社は、大手を中心に、やはり仕組みに走っているのではないかと思う瞬間がある。
 9月に『リクルートという幻想』(中央公論新社)という本を出した。おかげ様で話題となり、すぐに重版がかかった。この本の中で、1章をかけてリクルート(現リクルートキャリア)の新卒採用領域について検証した。昨年の「Open ES」騒動を始めとするこの事業に関する問題について論じた。かつては「日本の人事部」と呼ばれ、数々のカリスマ営業がいたこの部門の現状を憂う内容である。
 ただ、私の分析について、現役社員、OB・OGなど何人かからご意見を頂いた。『リクルートという幻想』と言いつつ、私自身が、以前のリクルートが大好きでしょうがないだけではないのか、と。そして、トップ営業と呼ばれる人に過度に依存する経営は、不安定である。若くて、人件費の安い営業担当者が、パッケージ化された商品をそこその値段で売る。営業担当者の育成も、商品作りもシステム化されている。上場する企業であれば、一部のカリスマに過度に依存しているのは危険なわけである。劣化しているという批判があるかもしれないが、これは効率化の結果なのだ。戦略的劣化とも言える。
 営業力が落ちているかどうかは、測定しにくい。あくまで個々人の、個社に対する印象の積み重ねでしかない。ただ、仮に劣化していたとしても、2020年の就職情報会社像を考える上で大事な議論になるだろう。

■私たちはどんな就職情報会社を選ぶのか?

 本当に、徒然なるままに書いてしまった。まとめることにしよう。
 今後の変化を考えるならば、私はプラットフォームを作り、人材紹介などの他サービスと融合させ、ICTを強化し営業をシステマチックに行うメガ就職情報会社と、小規模だがコンサル型の営業をする企業に分化するのではないかと思う。結論から言うならば、今の流れがそのまま進むという前提であり、まるで面白みのない答なのだが。
 ただ、個人的には就職情報会社はどこまでシステマチックになるのか、できるのか、そうするべきなのかというのが特に気になっている。特に大手のリクルートキャリアの動きからはその方針を強く感じる。
 とはいえ、2020年の就職情報会社を決めるのは、実は採用担当者、個々人である。彼らが介在する価値とは何なのか。期待することは何なのか。これを就職情報会社の営業や、社内外の採用担当者同士で議論することこそ大事である。
 個人的には、それでも就職情報会社は残ると信じている。人と企業の出会いには人の知と熱が必要だからである。採用担当者だけでできることにもまた限界はある。それでも就職情報会社は必要だと、関係者はぜひ強く反論して頂きたいし、私もそれを期待している。もっとも、存在するべきだとして、どれほど大きな存在になりたいのか、なれるのかは別問題だが。

 そうだ、大事な論点を忘れていた。就職情報会社のお客さんは誰なのかという点である。求職者不在の議論をしてはいけない。大手就職情報会社を取材した記者が、彼らに抱いた違和感を私にうちあけてくれた。彼らを取材して出てくる「お客さん」というキーワードは、クライアントの意味だけだった、と。求職者の存在を忘れてはいけない。もっともすべての企業や求職者に媚びる必要はない。どんな人をお客さんとしたいのか。この議論は大切だ。
 2016年度採用に関して就職情報会社と会う機会も多いことだろう。時期の議論を超えて、就職情報会社に期待していることは何か。まずは、やってきた営業担当者に本音ベースで伝えてみよう。


HR総研 客員研究員 常見陽平
(評論家/杏林大学、千葉商科大学、武蔵野美術大学非常勤講師)

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