事務所のキャビネットを新しいものに入れ替えた。書類はざっくり整理し鍵をして帰った。
ところが翌朝、いつもの鍵箱の中にはなかった。本格的な整理をしてから、と思っていたためコピー、マスターの2本とも入れていた。いくつかの鍵の入った箱をかき回し、白い柄のついた鍵を何回も探したが見つからなかった。一緒に入れ替えたもう一つのキャビネットの鍵はあった。消えたとしか思えない。
思い込みは気づきの始まり

 とりあえず必要なものは出してあったし、事務所を留守にしたこともあり、2,3日ほっておいた。探すことは諦めてメーカーに鍵を注文しようかと思ったが、その前にもう一度、と“白い柄のついた鍵”を探してみると、箱の中には見かけない鍵があった。2本ある。そう、あったのだ。

 なぜ、見つからなかったのか。私はその鍵は白い柄のついたデザインだと思っていたが、実はなんの飾り気もないスチール製の平凡なものだった。家具店でキャビネットを選んでいる時に同種のキャビネットの鍵がお洒落なデザインになっていることが印象に残っていた。それが原因か、実際のものとは違うイメージを持ったままだった。

 思い込みだった。思い込みがあるとものが見えなくなる、という罠にはまった。その後は鍵のかたちがやたらと気になる。自分のキーホルダーに収まる鍵たちは10本とも皆デザインが違うではないか。鍵の本が一冊書けそうである。それぞれに違う鍵を、特に番号などつけなくともイメージで記憶している。詳細を聞かれたらまるで答えられない。

 探し物、それは日常茶飯の“あれどこだっけ”から始まり、仕事の企画の種、顧客の開拓など数多ある。もっと広げると“幸せ”もある。要約すると、思い込みはものを見えなくし、気にするとどんどん見える。“白い柄”のついたデザインを勝手に選んで記憶する。新しい鍵を見たはずなのに、見ていない、という事実が判明した。

 この事実を認め意識することで、新しい世界が見えてくる。意識を向けるかむけないかで環境が変わる。ということは、自分の意識で環境を作っているとも言える。できないと思い込んでいることも、まだできる可能性が潜んでいるかもしれない。
思い込みのプラス活用は“暗示”だ。“私は美人だ”と鏡を見てつぶやき、暗示をかけ続ける(ふふ、)。林真理子の“桃栗3年、美女30年”では“そのうち美人”を探し求めている。暗示とPDCAの事例として面白い。

 一方、思い込みの罠から解放されるキーワードは“関心、疑問、仮設、検証”である。つまり気づきである。
 例えば、私は経営者の車と事務所の設えの関係に関心がある。誰もが知っている高級車を運転している時と、錆びついた軽のボロ車を運転している時とでは、運転している私は同じなのに、回りの反応が違うのはなぜだろう。
 高級車の場合は言うに及ばないが、ボロ車の場合はおもしろい。速度は前後と調和して走っているはずなのに追い上げられたり、追い越されたりする頻度が高い。ボロは着ていても心は錦とはいかないのである。
 マズロー的解釈ではボロ車は動いてとりあえず安全に運ぶという生存と安全の欲求レベルであり、良い評価を得るような承認のレベルには至らない。
 これがベンツやレクサスになると、承認、成功の証としての自己実現のレベルに至り、効き目がある。車はステータスを誇示するものとして好都合だ。事務所の設えもステータスを表すものにはなるが、誰にでも見せることができるものではない。日本中どこでも携帯可能なステータスシンボルは水戸黄門の印籠の葵紋でご存じの通りである。ボロ車に乗った普通の爺さんが印籠を見せるや急に自家用ジェット機で舞い降りて悪人を平伏させるすごさである。

 経営者の車と事務所の設えのレベルに大きな差があることは怪しい、という仮説をたててみる。自家用ジェット機で帰った水戸黄門が崩れ落ちそうな城に住んでいたら、違和感を覚える。城はステータスシンボルでもあり、客を迎え、攻撃、籠城もできなければならない。守りの場所でもある。車は高級、事務所はお粗末、とは攻撃は強いが守りには弱い。経営者とお客様や社員の関係が気になる。 お金ですぐ手に入れられるものを好む傾向があるため社員教育には熱心でない、人には投資しない、と見ることもできる。

 思い込みは気づきの始まりである。思い込みは思考の凝りのようなものである。多いに思い込み、多いに外れてみよう。思い込みが多いということは、これから気づくことが多いということだ。人事担当者として、こんなにやっているのに、と思い込んでいたら、“こんなにやってもらっている”ことをあげてみよう。何かが見えてくる。


オフィス クロノス 人材育成コンサルタント 社会保険労務士 久保 照子

この記事にリアクションをお願いします!