先般、とある用件で上京する機会があった。長崎空港からいつもの便で飛んだのだが、その道すがら感じたことを綴ってみよう。老年期に片足突っ込んだ天邪鬼の雑感であることを予めお断りしておく。
国の成熟度の証し?

 まずは、飛行機に搭乗する場面。
 心なしか、最近は手荷物を機内持ち込みにする人が増えたように感じる。しかも、持込手荷物は大小2つに制限されているはずだが、3つも4つも持ち込んでいる人が多い。さらに、「あの荷物は大きさの制限を超えているのでは?」という人も散見された。

 もちろん、手荷物検査場を通過しているわけだから、違反ではないのかもしれない。しかし、私はどうも腑に落ちない。「世の中にはルールがあって、それを守るのが基本だという原点が忘れ去られようとしている」ように思えてしまう。機内は荷物入れに納まり切らない大量の荷物で溢れかえっている。しかも、機内の大混雑は飛行機の出発まで遅らせてしまった。そこには、「皆さん、ルール守りましょうよ!」と心で叫んでいる私がいた。

 航空会社の立場からすれば、相手はお客様だから、「無用のいさかいは起こしたくない」「顧客満足度を落としたくない」などの判断が先に立つのだろうが、理不尽さからくる違和感を禁じ得ない。飛躍しすぎだと言われればそれまでだが、これはきっと他人様がエゴイストっぽくなりつつあることの表れだ、などと一人納得してしまった。「他人への配慮に欠けた独りよがりの行動をとってはいけない」という当たり前の精神を持ち合わせた日本人が少なくなったのではないだろうか。

 さらに、私の違和感は続く。
 その手荷物だが、多くの人たちが小ぶりのキャリーバッグを転がして持ち運んでいる。空港から電車・街へとキャリーバッグを引いて運んでいる人の多いこと。これがまた、ルールというかエチケットというか、周りの人たちへの気遣いが足りない人も多くて辟易してしまう。あなたは経験ないだろうか?私などは、東京や大阪への出張のたびに、キャリーバッグにつまずかされたり、ぶつけられたりしてしまう。私の不注意もあるが。ちなみに、私自身は昔からボストンバッグ派で、常に荷物の重みを身体に感じながら移動している。海外へ行くときは、さすがにキャリー付のスーツケースを使わざるを得ないが。

 まあ、こんなことを経験したりするものだから、何の変哲もない日本人の旅行スタイルの変化が私には人間の劣化に映ってしまう。何が劣化かと問われれば、一つには「他人への配慮と公共ルールの遵守」、そしてもう一つは「自分の荷物は自分が持てるだけという、己を知り己をわきまえる精神」だろうか。

 キャリーバッグの使用に関しては、時代の流れであったり、バッグメーカーの戦略だから、一概に利用者のせいであるはずもない。ただ、少なくとも決められたルールや持ち運びのエチケットは守ってもらいたいと思う。また、私が、ボストンバッグのように自分の力で荷物を持ち運ぶという行動が大事だと思うのは、人間一人ひとりは弱く頼りない存在であることを日頃から自覚できるからである。自分が弱い存在だと認識できれば、この複雑な人間社会を生きていく中で、時には他人様の力を借りたり、逆に自分の力を貸したりしながら、共に支え合い、心地いい関係が築けるのではないだろうか。決して他人様に強制できる事柄ではないが、私は心掛けていきたいと思っている。

 まあ、こんな調子で出張も社会観察に変貌して時が過ぎ去るのである。ところで……。

 このコラムを書き出してから、とんでもないニュースが飛び込んできた。JR川越駅構内で全盲の女子生徒が何者かに蹴られるという傷害事件が起こったというのである。女子生徒が使っていた白杖につまずいた腹いせによる仕業らしい。ユニバーサル社会の構築が言われて久しいが、こんな輩がいまだにいると思うと驚きを通り越して悲しくなってくる。私は、ユニバーサル社会には大賛成だが、ユニバーサルデザインには賛成しつつも、一方で少しの疑問も感じている。なぜなら、後者は物理的な空間づくりが進めば進むほど障害者と健常者の距離を引き離してしまう恐れがあると思うからだ。

 今回の事件は、ある意味で私たちに警鐘を鳴らしているのかもしれない。つまり、障害者に優しいと考えて整備された点字ブロックや音響装置付信号機などが、実はユニバーサル社会の実現に向けて、共に理解し支え合うという私たちが持ち続けるべき精神や行動を削いでいる側面があることは否めないのだ。私たちは、初心に帰って、誰もが社会の一員として支え合い、そして安心して暮らせる社会を創っていくべきことを胸に刻んでおく必要があるだろう。

 このようなことを考えてしまうのは、私がこの日本社会を構成する一人ひとりが人間としてあるべき本質的な部分を失くしつつあることを日頃から感じているからかもしれない。これは、個人の責任云々の問題というより、成熟した国・社会にありがちな風土の変化と捉えた方がよさそうである。であれば、私たちの五感も変化させていくべきなのだろう。

 これらの状況を見るにつけ、企業のリスクマネジメントのあり方も変えていかざるを得ないのだろうなと思ったりする。幸か不幸か、きめ細やかな就業規則・規程類の整備とその運用システム、損害保険を活用したリスクファイナンス、などは経営上必須のツールとして企業人が意識しておかなければならないことだろう。


株式会社WiseBrainsConsultant&アソシエイツ
社会保険労務士・CFP 大曲義典

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